2020年6月25日木曜日

天理教学概論1 第1回

天理教学とは何か
―信仰と学問―

 皆さん。こんにちは。天理教学概論1を担当する、宗教学科の岡田正彦です。この授業は宗教学科の1年次生を対象にした必修授業です。宗教学科に入学した皆さんが、これから4年間かけて学んでいく「天理教学」という学問の基本的な姿勢と概要について紹介し、この学問の可能性について一緒に考えていきます。よろしくお願いします。

それでは、まずこの講義の概要を読んでみましょう。 


 人はなぜこの世界に生まれ、何のために生きているのか。生命はいつ、どこで、どのように生じたのか。「死」とは如何なるものか。宇宙の果てはどこにあるのか。普段は意識していませんが、私たちはつねに/すでにこうした「こたえられない問い」とともに生きています。

 太古から人間は、こうした問いについて「考え」、時には直感的にこたえを「表し」てきました。これらが哲学や芸術の営みです。また、宗教的な偉人たちはこうした問いに対して、超越的な立場からこたえを「示し」てきました。天理教を信仰する人々には、教祖を通して開示された親神の「教え」があります。

 人類に与えられた究極の「こたえ」である、この「教え」を学び、探求し、実践し、真実の「こたえ」とともに生きることの意味を求め続けていくことが、天理教学の課題です。

 天理教学概論1では、とくに原典と基本教理の研究(原典学と組織教学)について学びます。
 
 答えられない問い

 いまから2,400年くらい前、ギリシアの都市国家の一つであったアテネの郊外に、ソクラテスという一人の哲学者がいました。あまり風采の上がらない、それほど有名な人でもなかったのですが、あるとき弟子の一人が神に仕える巫女に「ソクラテス以上の賢者はあるか」と尋ねました。すると巫女は、「ソクラテス以上の賢者は一人もない」と答えました。 

 いつも厳しい奥さんに叱られ、自分の才能にも限界を感じていたソクラテスは、この神託に驚き、悩みます。「いったい、自分のどこがそんなに賢いのか、自分より賢い人が世界にはたくさんいるのに・・・」。悩んだソクラテスは、自分の周りの賢いとされている人々に会いに行きます。 


 当時のアテネで最も知識が豊富で賢いとされていたのは政治家でした。ソクラテスは政治家に尋ねます、「幸せって何ですか」。政治家は、「住む家があって、着る服があり、食べるものに不自由しないのが幸福の大前提である。だから、この地に暮らす人々が皆衣食住を確保できるように政治を行なっている」と答えます。

 とても説得力のある答えです。しかし、ソクラテスは質問することを止めません。「あなたの言うことは正しい。しかし、わたしの周囲には、立派な家に住んで、豪華な衣装を身にまとい、毎日ご馳走を食べているのに、とても幸せとは思えない人がたくさんいる。彼らの幸せはどうなのか・・・」。

 こんな質問をくり返すと、最後は誰も答えられなくなります。幼い子供が「どうして?」とくり返す質問に似ています。皆さんも同じような経験をしたことはありませんか?

 政治家との問答に失望したソクラテスは、さらに芸術家や現在の科学者に近い思考をしていた技術者たちと同じような問答をくり返します。そうすると、やはり最初は明瞭に答えていた人々も、最後は誰も答えられなくなりました。そこでソクラテスは、自分が世界で一番賢いとするお告げの意味を理解しました。ソクラテスの若き弟子の一人であった、プラトンの書き残した裁判の記録から、彼の言葉を引用します。

 わたしは、自分一人になったとき、こう考えた。この人間より、わたしは智慧がある。なぜなら、この男もわたしも、おそらく善や美のことがらは、何も知らないらしいけれども、この男は、知らないのに、何か知っているように思っているが、わたしは、知らないから、そのとおりに、また知らないと思っている。だから、このちょっとしたことで、わたしのほうが知恵のあることになるらしい。(「ソクラテスの弁明」19頁)

 つまり、ソクラテスは「こたえ」を知っているかのように振る舞う人間たちよりも、「こたえ」を知らないことを知っている自分のほうが、少しだけ賢いと考えたのです。 


問いとこたえ

 私たちの人生は、答えられない問いに満たされています。私はなぜ、現在の私としてここに生きているのか。今、ここで考えている「私」は、死んだあとどこへ行くのか。宇宙の果ては、どこにあるのか?こうした問いに、本当は答えることはできません。

 しかし、どの問いに対しても答えを求めて考えることはできます。しかも、ただ考えるだけではなく、理性の判断にしたがってより客観的で合理的な「答え」を求めていくことが可能です。ギリシア思想の伝統に連なる人々ばかりでなく、古来人間は、人生の「問い」に対する答えを求め続けてきました。

 また、優れた芸術家は直観的に人生の問いに対する答えを表現してきました。古い芸術作品には、しばしば現実世界には存在しない神々の姿や死後の世界が描かれています。こうした芸術の側面を描いた物語では、芥川龍之介の『地獄変』という短編小説が有名です。 




 この話の主人公である絵師は、地獄の絵図を屏風に描くように依頼されますが、見たことのない地獄の図を描くことができません。結局、最愛の娘が焼け死ぬ姿を模写して地獄の絵を完成させ、自らも命を絶ちます。もちろん、これはフィクションですが、存在しない世界を描こうとする芸術家の執念を感じる物語です。優れた芸術作品は、しばしば私たちが見たり触れたり出来ないはずのものを見事に描き出すことがあります。

 人類の歴史に登場した優れた宗教的指導者たちは、本来私たちは知ることができないはずの真理を明かし、人々に進むべき道を示してきました。教祖と呼ばれる人々の残した言葉のなかには、多くの場合に「人はなぜこの世界に生まれ、何のために生きているのか。生命はいつ、どこで、どのように生じたのか。「死」とは如何なるものか。」といった問いへの答えが含まれています。

 天理教を信仰する人々には、教祖(おやさま)・中山みきという人を通して伝えられた親神の教えがあります。原典や伝承に残された教祖のお言葉のなかには、人生のあらゆる問いに対する「こたえ」があります。

 私は何のためにこの世界に生まれて、何を目指して生きていくべきなのか。生きることと死ぬことに、どのような意味があるのか。教祖はあらゆる問いに対して、明確な答えを示してくださいました。

 また、教祖は自らの生涯の歩みを通して、誰もが求める正しい人間の生き方のモデル/「ひながた」を残してくださいました。つまり、いつも教祖の「ひながた」を模範にしていれば、私たちはもう人生の岐路において迷うことはないのです。


 
 
答えを知ること/問いと向き合うこと
 
 しかし、現実はそれほど単純ではありません。たとえば、教祖は人の死はすべての終わりではなく、古い着物を脱いで新しい着物に着替えるように、また新しい身体をかりて次の人生を歩むと教えてくださいました。だから天理教では、人の死を「出直し」と言います。もしこれが真実であれば、もう誰も死を恐れる必要はないはずです。

 でも、どうでしょうか。たとえこの教え知っていても、そう簡単に自分の死を平然と受け容れることはできるでしょうか。「こたえ」が与えられていることは、必ずしもすべての問題が解決している、ということではないのです。

 教祖を通して伝えられた真実の教えのなかには、人生のあらゆる問いに対する答えがあります。しかし、その答えが真実の答えであるのかどうかは、科学の実験のように確かめることはできません。教祖の教えを真実であると信じる人々が、それぞれの信仰生活のなかで、この教えを信じて生きることの意味を見いだす必要があります。

 だから、天理教学という学問は、教祖の教えが真実であるかどうかについて、客観的・合理的に検証する学問ではありません。死を迎えた人が本当に生まれかわるかどうかを学問的に検証するのではなく、人の死はすべての終わりではなく、新たな生のはじまりでもある、という教えを信じて生きることにどういう意味があるのか。このことを学問的に検証することが天理教学の課題になります。

 このため、しばしば天理教学は「信仰の学」である、といった表現が使われます。

 教祖を通して伝えられた真実の教えは、わたしたちが人生の行路において直面するあらゆる「問い」に対する「答え」であると信じて生きることに、どのような意味があるのか。これまで先学の方々が積み重ねてきた思索の蓄積に学びながら、この一年間、皆さんとともに考えていきたいと思っています。

春学期の予定 

 春学期の授業の予定は、以下の通りです。

1.天理教学とは何か―信仰と学問―
2.天理教学は何を学ぶのか
 ―天理教学の研究領域―
3.原典とは何か―教典・原典・伝承的教理―
4.「おふでさき」―神の言葉の探究―
5.「みかぐらうた」
 ―信仰の書/「つとめ」の地歌―
6.「おさしづ」―神の指図から何を学ぶか―
7.「こふき」と別席と伝承的教理
 ―世界の真実と人類の救済― 
8.組織教学/教義学の可能性
 ―月日の教の人間学/臨床教義学のすすめ―
9.教祖の立場と人類の問い
 ―啓示論・教祖論―
10.世界と人間―天理教の神観・世界観―
11.人間と世界―天理教の人間観・救済観―
12.歴史と人間/世界―新たな歴史のはじまり―
13.社会と人間/世界―人類の希望と可能性―
14.「ひながた」と天の定規
 ―人類の規範/世界倫理―
15.まとめ

 これから、天理教学という学問の具体的な内容について、分野ごとに詳しく説明していきます。春学期の講義を通して「天理教学」という学問の魅力と大まかなイメージを皆さんに伝えられるよう、努力していきたいと思っています。次回は「2.天理教学は何を学ぶのか ―天理教学の研究領域―」を予定しています。