前回の授業で確認したように、秋学期の講義では「③歴史教学」と「④実践教学」の諸分野について学んでいきます。また、天理教学の諸分野の学びをより深めていくための「補助教学」の課題についても―あまり詳しく述べる時間の余裕はありませんが―紹介する予定です。
物語から歴史へ
「歴史教学」の研究分野の一つとして、まず「教祖伝」の研究について紹介しましょう。天理教の教祖の伝記である「教祖伝」について語る場合に、避けて通れない問題の一つに、近代的な歴史学の成立とともに生じた「歴史」と「物語」の差別化の問題があります。これは天理教の教祖伝に固有の問題というよりは、あらゆる宗教の教祖や開祖とされる人々の伝記に共通する問題の一つです。
「歴史」を「物語」と切り離し、「歴史」を明らかにする「歴史学者」と「物語」を創作する「歴史家」を区別したのは、19世紀を代表する歴史学者であり、近代的な「歴史学」の創始者とされる、レオポルト・フォン・ランケ(1795ー1886)です。
ランケは、実証主義を基本とする厳密な史料批判によって、歴史的出来事を科学的・客観的事実として記述する「歴史学」の手法を確立します。ランケは、歴史的出来事は "wie es eigentlich gewesen"(ヴィー・エス・アイゲントリッヒ・ゲヴェーゼン/実際にそれが起きた通りに)記述されるべきであるとし、実証的な根拠に乏しい物語や荒唐無稽な冒険譚などは、歴史学が対象とする歴史記述からは排除されることになります。
この史料批判によって、歴史学は科学的な学問分野の一つとして確立されることになりました。客観的な歴史記述のもとになる文献史料は、まず「外的」に史料の真贋(偽物か本物かの鑑定)を批判的に検証する必要があります。さらには、誤記や改竄などの痕跡がないかを確かめて、虫食いや落丁などの欠落を補完し、史料の出所や由来、伝播の過程などを検証します。
私は個人的に、江戸時代から明治・大正・昭和初期くらいの文献史料をよく扱いますが、この時期の日本は識字率が高かったので、同じ文献の写本や印刷物のバリエーションが多彩であり、贋作が多いのでかなり慎重な史料批判が求められます。
また、「内的」な批判の作業として文献の書き手が事実を記しているのかどうか、が問われます。もし、虚偽を記しているのであれば、それは何故なのか。心理的・政治的状況の分析が求めらることもあるでしょう。さらには、文献史料の残され方にも政治的な要因が関わります。多くの場合に、歴史として書き残されるのは「勝者」の物語であり、「敗者」の歴史は闇に葬られます。だから、貴重な資源であった紙を無駄にしないために、襖の裏張りなどに再利用された文書のなかに、失われていた歴史が発見されることもあるのです。
神話と歴史
近代科学の一分野としての歴史学が確立されると、過去の歴史的事実が新しい視座から検証されることになりました。とくに宗教史の分野では、神話時代の歴史的な偉人の物語や「聖書」の記述などの客観性や科学的事実性が問われることになります。
近代科学としての「歴史学」を基本にすれば、「創世記」の記述や神話的な物語の多くは、「事実をあるがままに記した」歴史の記録と見なすことができなくなります。イエス・キリストや仏陀が行なったとされる、さなざまな奇跡や超自然的な現象の記録などの多くは、客観的・科学的に事実を確認することができません。また、古事記や日本書紀などに記された神代の記録などについても、科学的・客観的に検証可能な事実であるかどうかが問われることになります。
新約聖書に記された、十字架に架けられて処刑されたイエスが「復活」して、弟子たちと出会う出来事は、歴史的な事実としては起こりえない出来事です。しかし、これを実際に起こった出来事として受け容れなくては、キリスト教の信仰自体が成り立ちません。
多くの釈迦/仏陀の伝記では、母の右わきから生まれた釈尊が、すぐに七歩歩いて天と地を指さし、「天上天下唯我独尊」と言ったとされています。これも客観的な事実としては受け入れ難い記録ですが、信仰的には重要なエピソードの一つです。
救い主としてのキリストの「神性」や真理を悟った仏陀の「超人間性」を伝えるこうしたエピソードは、後世の人による作り話なのか、それとも歴史的な事実なのか。当時の人々の願いや信仰が物語として結実したとか、釈尊の母親は子宮外妊娠をしていたなど、もっともらしい説明が無数に加えられますが、どれもこの問題を完全に克服できていません。
信仰的な真実の主観性と歴史的な事実の客観性を架橋することは、キリスト教においても仏教においても19世紀~20世紀の神学/仏教学上の主要なテーマの一つになりました。
たとえば、ジョゼフ・エルネスト・ルナン(1823 - 1892)は、近代合理主義的な観点からイエス・キリストの伝記を描きます。1863年に刊行された『イエス伝』では、イエスは救い主(キリスト)ではなく、比類なき人類愛を持った一人の歴史的人物とされ、奇跡の記述や超自然的な伝説は極力排除した人物伝が書かれました。キリストの神性ではなく、イエスの人間性を強調したのです。
また、エルンスト・トレルチ(1865-1923)は、キリスト教の教会史を神学的な議論から解放し、神の意志の実現の歴史としての教会史ではなく、西洋社会史の一分野としての教会史を描きました。こうした考え方は、同時代のマックス・ヴェーバーのような人にも影響を及ぼすことになります。
仏陀の伝記(仏伝)の超自然的・伝説的要素については、19世紀以降の日本でも活発に議論されることになりますし、古事記や日本書紀における神代の記述についても、津田左右吉のような人たちによって検証されることになります。
歴史から再び物語へ
しかし、現在ではこうしたナイーブな実証主義的歴史学自体が、批判的に検証されつつあります。
ランケの歴史記述は、実際にはかなり偏ったものであり、「ランケは、決してランケ主義者ではなかった」としばしば揶揄されます。ランケ本人が記述した世界史やヨーロッパの歴史には、特定の史料への偏りや恣意的な史料の選択が頻繁にみられ、狭い範囲の史料を活用して、より広い範囲の歴史物語を描いていると批判されました。
ランケは、歴史学を科学的な学問分野として確立することを目指しましたが、自分自身も完璧に科学的・実証的・客観的な歴史記述を実現することはできなかったのです。現在では、厳密に科学的な事実だけを客観的に記述することは、歴史の記述に「書く」という作業が欠かせない以上、ほぼ不可能であるということが共通認識になっています。
ベネデット・クローチェが、『歴史叙述の理論と歴史』(1917)のなかで「すべての歴史は現代史である」と語っていることは有名です。歴史は、現在と未来のあり方を選択するために描かれるのであり、決して価値中立的ではありません。
また、E.H.カーが『歴史とは何か』(1961)のなかで強調している「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」といった指摘も重要です。過去の悲劇的な出来事の記憶は、根深い復讐の原動力にもなりえますが、未来への一歩を踏み出す大きな力にもなりえます。過去をどのように語り、未来をどのように生きるのか。その選択ができるのは、現在を生きる人たちなのです。
歴史を記述する際には、「何を」記述しているのか以上に、「どのように」語っているかについて、つねに意識する姿勢が大切です。すべての歴史記述は―たとえその記述や史料批判の厳密さに程度の差はあるにしても―ある意味ですべて物語なのです。しかし、歴史は物語であると考えることは、すべての歴史はフィクションであり、どこにも真実は存在しないといった、最近のフェイク・ニュースのような主張ではありません。
ある特定の歴史叙述だけが科学的・客観的な真実である、という一方的な態度を保留することによって、多様な歴史の語りを可能にすることが、歴史叙述の物語性を強調する歴史理論の役割なのです。
*こうした歴史理論の先駆者の一人は、私が米国のスタフォード大学で指導を受けたヘイドン・ホワイトという人です。最近、日本語に多くの著作が翻訳されていますので、興味のある人は挑戦してみてください。
歴史の物語性を前提にすれば、19世紀的な実証的・科学的な歴史記述ばかりでなく、もっと柔軟な歴史叙述の様式―たとえば、小説や絵本や演劇など―を選択できるようになるはずです。
近代の「歴史学」と教祖伝
昭和31年(1956)に公布され、寛政10年(1798)~明治20年(1887)の教祖の生涯を記した『稿本天理教教祖伝』(以下『教祖伝』)は、19世紀に確立された歴史学の手法をもとにしながら、20世紀の史書としてまとめられています。
当然のことですが、この授業で紹介してきた19世紀~20世紀の歴史研究における「歴史的事実と信仰的真実」の葛藤は、『教祖伝』の編纂と叙述にも大きく影響しています。
『教祖伝』の稿案を刊行前に検討した「第16回教義講習会」のなかで、編纂の責任者であった天理教の二代真柱・中山正善氏は、現在編纂している『教祖伝』について、次のように述べています。
「編纂する者は、史実篇と、そうして信仰篇、逸話篇と、その三つの角度から書くのでしょうが、読む者としてはさようなものは、一にかかりてひながたをたどり、ひながたを喜び、身に行なうところの渾然たる姿となっていくように、読ませていただきたいのであります」(『第16回教義講習会 第1次講習録抜粋』)
ここでは「史実篇」と「信仰篇」を別々に編纂するのではなく、同じテキストを実証的・科学的に検証された歴史的事実をまとめた史書(史実篇)として編纂し、一方で本書を読む信仰者は、「中山みき」という一女性の伝記ではなく「月日のやしろ」として神の言葉を伝えた、教祖(おやさま)の伝記(信仰篇)として拝読し、正しい人間の生き方のモデル/「ひながた」を記した教義書として尊重することを求めています。
こうした編纂と拝読の姿勢の区分は、19世紀以来積み重ねられてきた、キリスト教や仏教の史伝をめぐる議論を色濃く反映していると同時に、かなり上手く「歴史的事実」と「信仰的真実」を架橋していると言えるのではないでしょうか。
「歴史的事実」と「信仰的真実」の架橋というこの課題は、「教祖伝」ばかりでなく天理教学の一分野としての「歴史教学」全体にとって重要な意味を持っています。「歴史教学」は近代的な学問としての「歴史学」を前提としますが、その目指すところは「信仰的真実」を明らかにすることです。
この講義では、こうした「歴史教学」と「歴史学」の微妙な関係を意識しながら、これまで「歴史教学」の分野で積み重ねられてきた研究を紹介していきます。次回は、現行の『教祖伝』の編纂と刊行について、もう少し詳しく検討します。
◎次回の10月6日(水)から、対面授業がはじまります。教室は、3号棟3階の33A教室です。1時間目ですので、授業に遅れないようにしてください。
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