2021年5月22日土曜日

天理教学概論1 第4回


「おふでさき」の研究

―神の言葉の探究―


 前回の授業では、原典の概略について説明しました。「おふでさき」、「みかぐらうた」、「おさしづ」は、なぜ原典と呼ばれるのか。また、天理教の聖典としての原典の意義などについて、他宗教の聖典とも比較しながら説明しました。

 今回は「おふでさき」その研究について学びます。グーグルフォームの質問には、ほぼ全員が正解していますので、この調子で受講してください。


「おふでさき」を拝読する

 「おふでさき」の研究を考える場合に、まず最初に挙げておかなくてはならないのは、「おふでさき」の刊行者である、天理教の二代真柱・中山正善氏の名前でしょう。

 これは個人的な見解ですが、中山正善氏の「おふでさき」研究は、やはり「おふでさき(附注釈)」「まえがき」に集約されているような気がします。



 昭和3年の「おふでさき」公刊の時に付された、この「まえがき」には、「おふでさき」とは何でありなぜこの書物を公刊して広く読ましむる必要があるのか、といった問いへの応答が極めて親しみやすく、それでいて心に響く文章によって、簡潔にまとめられています。

「おふでさき」に関心のある人は、まずこの「まえがき」を何度も読んで、言葉が頭に浮かぶくらいになってから「おふでさき」を学ぶとよい、と思います。

 この「まえがき」は、次のような印象深い文章ではじまります。

余程以前である。私がまだ母の膝に親しんでいた時分である。私は母から、教祖様が参ってきた人々に誰彼(だれかれ)の差別なくおふでさきを読めとおすすめになった、という話を聞いた。また、「これさえ読んでおけば、少しも学問はいらないのやで」と、日々母におさとしになったという話も耳にしている。

 ここで「母」というのは、御母堂さま、つまり教祖の孫で秀司先生の娘であり、初代真柱さまと結婚した「たまへ」さまのことです。教祖が現身をかくされたとき、明治10年生まれのたまへさまは10才くらいでしたので、ちょうど二代真柱と同じようにお言葉を聞いたのではないでしょうか。

「これさえ読んでおけば、少しも学問はいらない」という言葉は、極めて含蓄に富んでいます。いろいろな読み方はできるでしょうが、少なくとも何も学ばなくても良いというような、いわゆる反知性主義ではないことは、この母が息子である中山正善氏に施した英才教育を見ればよく分かります。

 また、二代真柱ばかりでなく多くの優秀な若者が、高等教育の機会を与えられました。さらには、御母堂さまは女子教育にも力を入れます。信仰者にとって「おふでさき」に記された神意は、人知を超えたこの世界の真実ですが、テキストに書き記された言葉は、言葉を読んで理解し、考え、そして行動する人がいなくては、ただ永遠に沈黙を重ねるだけです。

 言葉を生かしていくためには、言葉を読み深めなくてはならないのです。

 これまで、宗教学科の入試面接の際に、よく「おふでさき」を読んだことはありますか、と質問してきました。高校の寮生活や教会の朝夕のつとめなどで、毎日拝読している人は少なくないのでしょう、多くの人が「はい」と答えてくれました。さらに「最初から最後まで読みましたか?」と質問を続けても、かなりの人が「はい」と答えます。しかし、さらに続けて「それでは、何がかいてありましたか?」と質問すると、急に答えられる人が少なくなります。

 ある本を最初から最後まで読んで、何が書いてあったか答えられない、というのは可笑しな話です。普通はある程度は答えられるはずではないでしょうか。これには、和歌を連ねた「おふでさき」の形式も関係しているかも知れません。

 とはいえ、教祖が「おふでさき」を書き残されたのは、やはり後世の人々に読ませるためです。これも「まえがき」に引用されている「おふでさき」の言葉ですが、「おふでさき」自体には「おふでさき」について、次のように説明されています。

このよふハりいでせめたるせかいなり なにかよろづを歌のりでせめ   一号21
せめるとててざしするでハないほどに くちでもゆハんふでさきのせめ  一号22

 おふでさきは、人智を越えた親神の目に映る世界の「理/ことわり」を記した、神の言葉なのです。

 『稿本天理教教祖伝逸話篇』には、次のように記されています。

「書いたものは、豆腐屋の通い見てもいかんで。」 と、仰っしゃって、耳へ聞かして下されましたのや。何んでやなあ、と思いましたら、神様は、「筆、筆、筆を執れ。」 と、仰っしゃりました。七十二才の正月に、初めて筆執りました。そして、筆持つと手がひとり動きました。天から、神様がしましたのや。書くだけ書いたら手がしびれて、動かんようになりました。(二二 おふでさき御執筆)

 これは、教祖ご本人の述懐です。「おふでさき」に記された言葉は、どのようなお言葉であるかがよく分かる逸話ではないでしょうか。また、内容について「おさしづ」に、次のようなお言葉があります。

これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに知らし置いた。ふでさきというは、軽いようで重い、軽い心持ってはいけん。話の台であろう。(おさしづ・明治37年8月23日)

 このお言葉は、日露戦争の際に天理教の信者で戦死した軍人の子弟の学資補助をする組織を作るために伺った「おさしづ」にあるお言葉です。戦争という予測不能の状況に対して、どのような対処をすべきかと伺う人たちに、「おふでさき」が「話の台」である、諭されています。

 コロナ禍の現在も先の見えない非常事態ですが、このような時こそ「おふでさき」をしっかり拝読する必要があります。宗教学科へ入学した皆さんは、卒業するときに「おふでさき」に何が書いてあるのですか、と質問されてもすぐに答えられるように、しっかり学んでください。


「おふでさき」とは何か

「おふでさき」は、1,711首の和歌体の神の言葉が、17冊(17号)に分けて天理教教会本部に保管されている、教祖が自ら書き記した原本をもとに編纂されています。

「おふでさき」(附注釈)の巻頭には、その最初の頁に記された教祖のご真筆の写真が掲載されています。ちゃんと見たことはありますか。また、変体仮名で刊行された「おふでさき」は、写真に撮った教祖の真筆をもとに編集されています。教祖の直筆に近いかたちで刊行されていることを覚えておきましょう。

「おふでさき」の原本は、明治2年から15年の間に執筆されました。「おふでさき」第1号の扉には、「明治2年正月より」と記されています。明治2年に第1号と第2号が続けて執筆されたあと、しばらく間が空いて明治7年・8年くらいに集中的に執筆されます。先ほど紹介した執筆時の状況を考えると、そこにも何か神意が反映されているのかも知れません。

「おふでさき」の詳細な内容については、2年次生以降に詳しく学ぶ授業があります。

 教祖は、多くの人にこの「おふでさき」を書き写すように勧めました。また、直接お書きになった「おふでさき」を手渡すこともありました。教祖直筆の「おふでさき」で教会本部以外の場所に保管されていた真筆を「外冊」と呼び、ほんの僅かですが存在している1,711首に含まれていないお歌「号外」と呼びます。

 17冊に綴られた「おふでさき」を人々は書き写しました。幸いなことに私は、天理時報の連載のために各地を訪問し、教祖ご在世時代のさまざまな資料を拝見する機会を与えていただきました。そのなかで、幾人かの先人たちによる「おふでさき」の写本を拝見しました。

 それらは、とても丁寧に書写されていて深い信仰と「おふでさき」を尊重する姿勢が感じられます。しかし、明治16年中山家へ巡査がやってきたとき、鴻田忠三郎が「おふでさき」を書写していたことから、「おふでさき」の没収騒ぎになります。

 これは巡査の指示によって焼き捨てたと言い逃れることによって、何とか難を逃れました。『稿本天理教教祖伝』には、このとき警察に手続書として提出した文書が全文掲載されています。あまり注を読む人は少ないでしょうから、一部を引用しておきましょう。

其際巡廻之御方ヨリ右天輪王ニ属スル書類ハ焼可捨様御達ニ依り私仝居罷有候飯降伊蔵妻さとナル者右忠三郎披見ノ書類即時焼捨申候義ニ御座候手続書ヲ以此段有体奉上申候也

  明治十六年三月廿五日       山辺郡三嶋村  中山新治郎

 この手続書は警察に提出された正式文書ですから、嘘の証言であることが分かれば偽証罪になります。いつまでこの時の出来事が尾を引いたかは定かではありませんが、なかなか「おふでさき」の存在を表に出すことはできませんでした。

 しかし、天理教会の活動が公認され、一派独立して独立の宗教団体となる大正から昭和の初期にかけては、大正デモクラシーの時代出版技術の進化もあって、多くの「おふでさき」の私刊本が出版されます。

 そうしたなかで、ようやく昭和3年4月26日に「おふでさき」が刊行されることになるのです。同年の10月28日~11月1日には、第2回教義講習会(おふでさき講習会)が開催されて、「おふでさき」の意義がようやく広く周知されることになりました。



 しかし、ようやく刊行されて全教会に下付された「おふでさき」は、第2次世界大戦の最中に国の指導で回収され、再び各教会に下付されるのは終戦後の昭和23年になります。

 皆さんの手許にある「おふでさき」は、このような歴史を経て刊行されていることを忘れてはならないでしょう。いつでも「おふでさき」を読むことができるのは、決して当たり前のことではないのです。


「おふでさき」の研究史と今後の課題

 書誌学的研究では、用字・筆跡研究、外冊の研究写本の研究などがあります。これは、現在の「おふでさき」が刊行される前に詳しい調査と検証が行われました。また、「おふでさき」の言語構造に着目する研究では、発音、表現法、助動詞、方言などに注目した研究がなされてきました。さらには、和歌体という「おふでさき」のスタイルや文体、修辞法などに着目する研究も増えてきました。私自身は、この分野の「おふでさき」研究に取り組んでいます。

 また、中山正善氏の先駆的な研究である、「神」「月日」及び「をや」について に代表される、「おふでさき」を教義書として読解し、全17号に一貫する親神の神意を読み解く研究も、これまで多くの人々によって為されてきました。



 紙幅の都合これくらいにしておきますが、基本的にどの研究にも共通しているのは、神の言葉を誤りなく人々に伝え、その意義を広く世界の人々に理解してもらうことです。以前の授業で確認したように、その場合の研究姿勢は、客観的・合理的・実証的でなくてはならないことは、言うまでもないでしょう。

*翻訳の問題や読み方の確定、解釈の問題などをより詳しく・・・。

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