2021年5月22日土曜日

天理教学概論1 第3回


原典とは何か

―教典・原典・伝承的教理―


 前回の授業では、天理教学の研究領域について説明しました。天理教学も学問である以上、その研究の姿勢は客観的で合理的でなくてはならないし、その主張は多くの場合に実証可能な根拠を必要とする、といったことを確認しました。そのうえで、原典学・歴史教学・組織教学・実践教学に分けて、全体的な研究領域をごく簡単に紹介しました。これから先の講義は、天理教学の各分野における従来の研究の蓄積を紹介し、今後の可能性について皆さんとともに考えていきます。

「原典」とは何か

 それでは、まず「原典」という言葉の意味から確認しましょう。極めてシンプルに「原典とは何か?」という問いに答えると、「天理教の“聖典”とされているテキスト」であると答えることができるでしょう。

「聖典」とは、一般に「聖人が書き残した書物、ないしは聖人の言行を記録した書物」を意味します。聖なる人/教祖と呼ばれるような人は、俗人には答えることのできない問いに対する答えをもたらしてくれる、ということについては以前の授業で確認しました。

 また、もう少し広い意味では「特定の宗教教団において、その教えが記されたものとして重要視されている文書」といった意味にも使われます。とはいえ、この定義にしたがうと多くの宗教伝統において、天理教における『稿本天理教教教祖伝』『逸話篇』『天理教教典』に類するテキストが「聖典」と見做されていることが分かります。天理教の「原典」を説明するためには、もう少し言葉の意味を限定する必要があります。➡聖典>原典

 天理教において「原典」とされているのは、具体的には「おふでさき」「みかぐらうた」「おさしづ」という三種のテキストです。だから、しばしば「三原典」といった言葉が使われます。つまり、具体的にはこの三つのテキストが「原典」とされています

 ➡「三原典」


 それでは、なぜこの三種のテキストを「原典」と見做すのでしょうか。

 それは「月日のやしろ」である教祖(おやさま/天理教の教祖・中山みき)を通して伝えられた、“啓示”の内容を知るうえで最も基本的な文献であるからです。

 天保9年以来、教祖は「月日のやしろ」として親神の思召を伝えられました。「月日のやしろ」としての教祖の言葉は、中山みきという一人の女性の言葉ではなくて、親神の言葉そのものであると信じられています。

「おふでさき」を引用しておきます。

 いまなるの月日のをもう事なるわ くちわにんけん心月日や  十二号 67

 しかときけくちハ月日がみなかりて 心ハ月日みなかしている 十二号 68

 神の言葉である教祖の言葉のなかには、人間には答えることのできない、あらゆる人生の問いに対する答えがあります。この答えが天理教教義の源泉であり、だからこそ「原典」は、天理教の教えを表明する根拠となるのです。

 また、「原典」という言葉の語源にもとづけば、「原典」は、昭和24年に刊行された『天理教教典』を編纂する際に、その「もと(原)」になった書物という意味です。現行の『天理教教典』は、天理教の教会本部の権威のもとで裁定された天理教の教義と見做されています。しかし、『天理教教典』自体は「原典」ではありません『教典』は「原典」をもとに編纂されたテキストです。だから、時代や社会の状況に応じて、言葉遣いなどはしばしば改訂されることがあります。

 この三種の「原典」には、それぞれテキストとしての特徴があります。それについては、次回以降の講義で詳しく説明することにしましょう。。

聖典と原典

 世界にはさまざまな宗教があり、多くの宗教伝統に「聖典」とされる書物があります。キリスト教には、聖書(新約聖書)がありますし、イスラームにはコーラン(クルアーン)があります。仏教には、経典(三蔵/大蔵経)と呼ばれる膨大なテキストの集積があります。キリスト教の新約聖書は、イエス・キリストの生涯を四人の弟子がそれぞれまとめた伝記が主な内容になっていますし、イスラームのコーランは、天上に記された神の言葉を預言者であるムハンマド(マホメット)が伝えた聖典です。仏教の経典は、基本的には真理を掴んで仏陀になったとされる釈迦の言行録をベースにしています。しかし、膨大な経典のなかには天理教やキリスト教であれば、後世の人々が教えを解釈した組織教学の成果に類するテキストも含まれています。



 これらの聖典に共通するのは、人間の側からは本来知ることのできない「真理」の覆いを取り、「真理」を露わにする言葉を伝えていることです。第1回の授業から使っている表現にしたがえば、「答えられない問い」への真実の答えが、それらの聖典のなかにはあります。

 ただし、その「答え」が真実であるかどうかは、それを信じるかどうかという問題なのであって、科学的な検証の対象にすることはできません。聖典の言葉を真実であると信じる人々が、それぞれの宗教伝統を形成していきます。キリスト教、イスラーム、仏教などについては、それぞれ2年次以降に詳しく学ぶことになります。

原典と神の言葉

 天理教の「原典」もまた、独自の教えにもとづいて「人生の問い」に答えてくれています。諸宗教の聖典と比較して、天理教の「原典」の特色は、神の言葉の直接性です。たとえば、「おふでさき」の十四号 25には、「月日にわにんけんはじめかけたのわ よふきゆさんがみたいゆへから」とあります。この世界に私たち人間が存在しているのは、親神様が「陽気ぐらし」の世界の実現を望まれたからなのです。この世界に生命が存在していることの意味が、ストレートに伝えられています。

 また、一号 43には「このよふをはじめた神のゆう事に せんに一つもちがう事なし」とあります。だから、たとえどんなに困難な人生の問題に直面しても、わたしたちは原典に「答え」を見いだしていくことができるのです。

 しかし、答えが言葉として与えられていることは、すべての問題が解決するということではありません。少し余談になりますが、いまから10年ほど前に、アメリカの大学院に留学していた時代の恩師に呼んでいただいて、シカゴ大学で一期だけ非常勤講師を勤めたことがあります。

 このとき、ひどい時差ボケなり、なかなか夜に眠ることができずに苦しみました。その時に恩師の先生が「銀河ヒッチハイクガイド」というタイトルのSF小説を貸してくれました。かなりナンセンスな空想物語なのですが、そのなかに「宇宙と生命とすべてのことに関する究極の答え」を計算するハイパー・コンピュータが登場します。地球から遥か彼方にある惑星に住む高度な知性持った住民たちは、このハイパー・コンピュータに「生命と宇宙とすべてのことに関する究極の答え」を計算するように依頼しました。

 コンピュータは、計算することはできるけれども、長い時間がかかると言います。この惑星の住民たちは、750万年ものあいだ解答を待ち続けます。そして、待ちに待った解答の日、コンピュータが告げた答えは「42」という数字でした。コンピュータは計算機ですから、考えてみれば当然の結果です。怒った住民たちがコンピュータを壊そうとすると、慌てたコンピュータは「生命と宇宙とすべてのことに関する究極の答え」を見いだすためのプロジェクトを提案し、その研究対象を「地球」と名付ける、というストーリーです。



 はっきり言ってナンセンスな空想物語ですが、「答えの意味は、自分たちで見いださなくてはならない」というメッセージは考えさせられます。教祖を通して伝えられた「原典」の言葉のなかには、「生命と宇宙とすべてのことに関する究極の答え」が記されています。しかし、その答えの意味は、それぞれの人生の中で、私たち自身が見いだしていかなくてはならないのです。

 この世界に、私たち人間が存在している理由は「陽気ぐらし」であると教えられています。しかし、「陽気ぐらしとは何か」という問いに対しては、この教えを信じる人々がそれぞれに、自分自身の人生を通して答えを求め続けていかなくてはならないのです。

原典を学ぶことの意義

 神の言葉である原典に向き合うことによって、まず私たちは教祖を通して伝えられた親神の教えを学ぶことができます。原典に残された神の言葉がなければ、親神の教えを知るすべはありません。また、教祖を通して伝えられた親神の教えの全体像を明らかにするためには、原典をしっかりと読み深め、教えを探求し、その意味を理解して説明していく必要があります。さらには、原典に残された言葉を人生の糧として、今日を生きることも可能でしょう。こうした営みのすべてが、原典を読むことからはじまります。

 ここで、私の好きな「おさしづ」の一節を紹介しておきます。

人間の言葉と思てはならん。写し込んだる杖柱と思えば、何も案じる事は要らん。【明治32年2月2日】

 また、次のようなお言葉もあります。

何処の国にも彼処の国にもあったものやない。神が入り込んで教祖教えたもの。その教祖の言葉は天の言葉や。【明治三十四年五月二十五日】

 教祖を通して伝えられた「原典」の言葉を「人間の言葉」ではなく「天の言葉」として拝読するとき、必ず私たちの人生は豊かになり、世界は陽気ぐらしの世界に近づいていきます。

 なぜなら、原典を「天の言葉」であると信じる人々にとって、そこには人生あらゆる問いに対する答えがあり、人類の希望と可能性がそこに語られているからです。私たちに必要とされているのは、原典を通してこの真理を探究し、人類の希望と可能性を世界に伝えていくことです。

 次回は、まず「おふでさき」から、これまでの研究の蓄積を紹介し、今後の可能性について考えていきましょう。

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