2021年9月28日火曜日

天理教学概論2 第2回


教祖伝の研究① 

―人類の歴史の転換点―

 前回の授業で確認したように、秋学期の講義では「③歴史教学」「④実践教学」の諸分野について学んでいきます。また、天理教学の諸分野の学びをより深めていくための「補助教学」の課題についてもあまり詳しく述べる時間の余裕はありませんが紹介する予定です。




*この「天理教学の研究領域」の分類は、これから皆さんが宗教学科で学んで行くさまざまな学問分野と重なっています。2・3年次で講義を履修する際に、どの分野の授業なのかイメージできるように、しっかり覚えるようにしてください。

物語から歴史へ

「歴史教学」の研究分野の一つとして、まず「教祖伝」の研究について紹介しましょう。天理教の教祖の伝記である「教祖伝」について語る場合に、避けて通れない問題の一つに、近代的な歴史学の成立とともに生じた「歴史」と「物語」の差別化の問題があります。これは天理教の教祖伝に固有の問題というよりは、あらゆる宗教の教祖や開祖とされる人々の伝記に共通する問題の一つです。

「歴史」を「物語」と切り離し、「歴史」を明らかにする「歴史学者」と「物語」を創作する「歴史家」を区別したのは、19世紀を代表する歴史学者であり、近代的な「歴史学」の創始者とされる、レオポルト・フォン・ランケ(1795ー1886)です。




 ランケは、実証主義を基本とする厳密な史料批判によって、歴史的出来事科学的・客観的事実として記述する「歴史学」の手法を確立します。ランケは、歴史的出来事は "wie es eigentlich gewesen"(ヴィー・エス・アイゲントリッヒ・ゲヴェーゼン/実際にそれが起きた通りに)記述されるべきであるとし、実証的な根拠に乏しい物語や荒唐無稽な冒険譚などは、歴史学が対象とする歴史記述からは排除されることになります。

 この史料批判によって、歴史学は科学的な学問分野の一つとして確立されることになりました。客観的な歴史記述のもとになる文献史料は、まず「外的」史料の真贋(偽物か本物かの鑑定)を批判的に検証する必要があります。さらには、誤記や改竄などの痕跡がないかを確かめて、虫食いや落丁などの欠落を補完し、史料の出所や由来伝播の過程などを検証します。

 私は個人的に、江戸時代から明治・大正・昭和初期くらいの文献史料をよく扱いますが、この時期の日本は識字率が高かったので、同じ文献の写本や印刷物のバリエーションが多彩であり、贋作が多いのでかなり慎重な史料批判が求められます。

 また、「内的」な批判の作業として文献の書き手が事実を記しているのかどうか、が問われます。もし、虚偽を記しているのであれば、それは何故なのか。心理的・政治的状況の分析が求めらることもあるでしょう。さらには、文献史料の残されにも政治的な要因が関わります。多くの場合に、歴史として書き残されるのは「勝者」の物語であり、「敗者」の歴史は闇に葬られます。だから、貴重な資源であった紙を無駄にしないために、襖の裏張りなどに再利用された文書のなかに、失われていた歴史が発見されることもあるのです。


神話と歴史

 近代科学の一分野としての歴史学が確立されると、過去の歴史的事実が新しい視座から検証されることになりました。とくに宗教史の分野では、神話時代の歴史的な偉人の物語「聖書」の記述などの客観性や科学的事実性が問われることになります。

 近代科学としての「歴史学」を基本にすれば、「創世記」の記述や神話的な物語の多くは、「事実をあるがままに記した」歴史の記録と見なすことができなくなります。イエス・キリストや仏陀が行なったとされる、さなざまな奇跡や超自然的な現象の記録などの多くは、客観的・科学的に事実を確認することができません。また、古事記や日本書紀などに記された神代の記録などについても、科学的・客観的に検証可能な事実であるかどうかが問われることになります。

 新約聖書に記された、十字架に架けられて処刑されたイエスが「復活」して、弟子たちと出会う出来事は、歴史的な事実としては起こりえない出来事です。しかし、これを実際に起こった出来事として受け容れなくては、キリスト教の信仰自体が成り立ちません。

 多くの釈迦/仏陀の伝記では、母の右わきから生まれた釈尊が、すぐに七歩歩いて天と地を指さし、「天上天下唯我独尊」と言ったとされています。これも客観的な事実としては受け入れ難い記録ですが、信仰的には重要なエピソードの一つです。

 救い主としてのキリストの「神性」や真理を悟った仏陀の「超人間性」を伝えるこうしたエピソードは、後世の人による作り話なのか、それとも歴史的な事実なのか。当時の人々の願いや信仰が物語として結実したとか、釈尊の母親は子宮外妊娠をしていたなど、もっともらしい説明が無数に加えられますが、どれもこの問題を完全に克服できていません。

 信仰的な真実の主観性歴史的な事実の客観性架橋することは、キリスト教においても仏教においても19世紀~20世紀の神学/仏教学上の主要なテーマの一つになりました。




 たとえば、ジョゼフ・エルネスト・ルナン(1823 - 1892)は、近代合理主義的な観点からイエス・キリストの伝記を描きます。1863年に刊行された『イエス伝』では、イエスは救い主(キリスト)ではなく、比類なき人類愛を持った一人の歴史的人物とされ、奇跡の記述や超自然的な伝説は極力排除した人物伝が書かれました。キリストの神性ではなく、イエスの人間性を強調したのです。

 また、エルンスト・トレルチ(1865-1923)は、キリスト教の教会史を神学的な議論から解放し、神の意志の実現の歴史としての教会史ではなく、西洋社会史の一分野としての教会史を描きました。こうした考え方は、同時代のマックス・ヴェーバーのような人にも影響を及ぼすことになります。

 仏陀の伝記(仏伝)の超自然的・伝説的要素については、19世紀以降の日本でも活発に議論されることになりますし、古事記や日本書紀における神代の記述についても、津田左右吉のような人たちによって検証されることになります。


歴史から再び物語へ

 しかし、現在ではこうしたナイーブな実証主義的歴史学自体が、批判的に検証されつつあります。

 ランケの歴史記述は、実際にはかなり偏ったものであり、「ランケは、決してランケ主義者ではなかった」としばしば揶揄されます。ランケ本人が記述した世界史やヨーロッパの歴史には、特定の史料への偏り恣意的な史料の選択が頻繁にみられ、狭い範囲の史料を活用して、より広い範囲の歴史物語を描いていると批判されました。

 ランケは、歴史学を科学的な学問分野として確立することを目指しましたが、自分自身も完璧に科学的・実証的・客観的な歴史記述を実現することはできなかったのです。現在では、厳密に科学的な事実だけを客観的に記述することは、歴史の記述に「書く」という作業が欠かせない以上、ほぼ不可能であるということが共通認識になっています。




 ベネデット・クローチェが、『歴史叙述の理論と歴史』(1917)のなかで「すべての歴史は現代史である」と語っていることは有名です。歴史は、現在と未来のあり方を選択するために描かれるのであり、決して価値中立的ではありません。

 また、E.H.カー『歴史とは何か』(1961)のなかで強調している「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」といった指摘も重要です。過去の悲劇的な出来事の記憶は、根深い復讐の原動力にもなりえますが、未来への一歩を踏み出す大きな力にもなりえます。過去をどのように語り、未来をどのように生きるのか。その選択ができるのは、現在を生きる人たちなのです。

 歴史を記述する際には、「何を」記述しているのか以上に、「どのように」語っているかについて、つねに意識する姿勢が大切です。すべての歴史記述たとえその記述や史料批判の厳密さに程度の差はあるにしてもある意味ですべて物語なのです。しかし、歴史は物語であると考えることは、すべての歴史はフィクションであり、どこにも真実は存在しないといった、最近のフェイク・ニュースのような主張ではありません

 ある特定の歴史叙述だけが科学的・客観的な真実である、という一方的な態度を保留することによって、多様な歴史の語りを可能にすることが、歴史叙述の物語性を強調する歴史理論の役割なのです。





*こうした歴史理論の先駆者の一人は、私が米国のスタフォード大学で指導を受けたヘイドン・ホワイトという人です。最近、日本語に多くの著作が翻訳されていますので、興味のある人は挑戦してみてください。

 歴史の物語性を前提にすれば、19世紀的な実証的・科学的な歴史記述ばかりでなく、もっと柔軟な歴史叙述の様式たとえば、小説や絵本や演劇などを選択できるようになるはずです。


近代の「歴史学」と教祖伝

 昭和31年(1956)に公布され、寛政10年(1798)~明治20年(1887)の教祖の生涯を記した『稿本天理教教祖伝』(以下『教祖伝』)は、19世紀に確立された歴史学の手法をもとにしながら、20世紀の史書としてまとめられています。

 当然のことですが、この授業で紹介してきた19世紀~20世紀の歴史研究における「歴史的事実と信仰的真実」の葛藤は、『教祖伝』の編纂と叙述にも大きく影響しています。

『教祖伝』の稿案を刊行前に検討した「第16回教義講習会」のなかで、編纂の責任者であった天理教の二代真柱・中山正善氏は、現在編纂している『教祖伝』について、次のように述べています。

編纂する者は、史実篇と、そうして信仰篇逸話篇と、その三つの角度から書くのでしょうが、読む者としてはさようなものは、一にかかりてひながたをたどり、ひながたを喜び、身に行なうところの渾然たる姿となっていくように、読ませていただきたいのであります」(『第16回教義講習会 第1次講習録抜粋』)

 ここでは「史実篇」「信仰篇」を別々に編纂するのではなく、同じテキストを実証的・科学的に検証された歴史的事実をまとめた史書(史実篇)として編纂し、一方で本書を読む信仰者は、「中山みき」という一女性の伝記ではなく「月日のやしろ」として神の言葉を伝えた、教祖(おやさま)の伝記(信仰篇)として拝読し、正しい人間の生き方のモデル/「ひながた」を記した教義書として尊重することを求めています。




 こうした編纂と拝読の姿勢の区分は、19世紀以来積み重ねられてきた、キリスト教や仏教の史伝をめぐる議論を色濃く反映していると同時に、かなり上手く「歴史的事実」と「信仰的真実」を架橋していると言えるのではないでしょうか。

「歴史的事実」と「信仰的真実」の架橋というこの課題は、「教祖伝」ばかりでなく天理教学の一分野としての「歴史教学」全体にとって重要な意味を持っています。「歴史教学」は近代的な学問としての「歴史学」を前提としますが、その目指すところは「信仰的真実」を明らかにすることです。

 この講義では、こうした「歴史教学」と「歴史学」の微妙な関係を意識しながら、これまで「歴史教学」の分野で積み重ねられてきた研究を紹介していきます。次回は、現行の『教祖伝』の編纂と刊行について、もう少し詳しく検討します。

◎次回の10月6日(水)から、対面授業がはじまります。教室は、3号棟3階の33A教室です。1時間目ですので、授業に遅れないようにしてください。

 さらに復習したい人は、このブログの内容を確認したうえで、下記のURLにアクセスし、グーグルフォームの質問に答えてください。

https://forms.gle/2ztimKAC6uWeDt7B9


2021年9月19日日曜日

天理教学概論2 第1回

 

天理教「学」と歴史教学・実践教学



 皆さん。こんにちは。天理教学概論2を担当する、宗教学科の岡田正彦です。この授業は宗教学科の1年次生を対象にした必修授業です。春学期に続いて、宗教学科の皆さんがこれから4年間かけて学んでいく「天理教学」という学問の基本的な姿勢と概要について紹介し、この学問の可能性について一緒に考えていきます。よろしくお願いします。

 それでは、まずこの講義の概要を読んでみましょう。 


 人はなぜこの世界に生まれ、何のために生きているのか。生命はいつ、どこで、どのように生じたのか。「死」とは如何なるものか。宇宙の果てはどこにあるのか。普段は意識していませんが、私たちはつねに/すでにこうした「こたえられない問い」とともに生きています。

 太古から人間は、こうした問いについて「考え」、時には直感的にこたえを「表し」てきました。これらが哲学や芸術の営みです。また、宗教的な偉人たちはこうした問いに対して、超越的な立場からこたえを「示し」てきました。天理教を信仰する人々には、教祖を通して開示された親神の「教え」があります。

 人類に与えられた究極の「こたえ」である、この「教え」を学び、探求し、実践し、真実の「こたえ」とともに生きることの意味を求め続けていくことが、天理教学の課題です。

*天理教学概論2では、とくに天理教の歴史と現状(歴史教学と実践教学)について考えます。


天理教「学」とは・・・何でしたか

 春学期の授業では、「天理教学」の全体的なイメージを学ぶとともに、天理教学の研究領域のなかで、とくに「原典学」「組織教学/教義学」について学びました。これまでの研究の一端について、少し紹介した程度でしたが、内容は覚えているでしょうか。

 大事なポイントの一つは、この授業は「天理教」の授業ではなく、「天理教の授業だということでした。

 教祖の残した言葉やテキスト(原典)をもとに、天理教の教えの内容を紹介したり、天理教の歴史や活動を紹介したりするのではなく、これらのテーマについて、これまで蓄積されてきた研究の成果を紹介し、これからの研究の可能性について考えることを目的としています。

 天理教学も学問である以上、その研究の成果や主張する命題の価値、客観的・合理的に判断されなくてはいけませんし、研究の根拠となる資料や史料は実証的に検証される必要があります。

 とはいえ、天理教の教祖の言葉は「神の言葉」であるかどうか、といった信仰上の問いに客観的・実証的に答えることはできません。教祖の言葉が神の言葉であるのかどうか、これを判断できるのは信仰だけです。「信じる」という主体的・主観的な営みのみが、教祖の神性を認めて、その言葉を真理であると判断する基準になり得ます。




 しかし、教祖の書き残したテキストを筆跡鑑定したり、歴史的な年代を推定したり、使われている用語の意味テキストの構成などについて考察する場合には、その正誤の判断は、客観的・合理的・実証的になされる必要があります。

 大和の方言では「豊作」を意味する「よのなか」という言葉を解釈する際に、方言の意味をまったく無視して「世の中」と一方的に解釈したり、まったく別人の筆跡で書かれたテキストを「おふでさき」の一部と見なすような行為は、やはり慎むべきでしょう。表紙に執筆年が書き記されている「おふでさき」の執筆年代は、原本の記載を無視して決定することはできません。

 また、根拠の実証性よりは、議論の客観性や論理的な整合性を重視する組織教学/教義学においても、極端に偏った主張天理教の人間観や世界観として表明するようなことがあれば、これは大きな社会問題になる可能性があります。とくに現代社会に固有の課題に言及する場合には、慎重に丁寧な議論(熟議)を積み重ねる姿勢が必要不可欠です。

 ネット上で発言した内容が、すぐに炎上して大きな社会問題になる現状を考えれば、つねに公正で客観的な立場から発言する姿勢の大切さは、皆さんにも理解できるのではないでしょうか。



 八百屋の店先に並んだリンゴの味は、実際に食べてみないと分かりません。美味しいか美味しくないか、という判断は主観的なものです。しかし、赤いリンゴと黄色いリンゴの産地の違いや歴史的な背景を説明することは、さまざまな知識を身につけることによって可能になります。

 糖度計を使って、リンゴの味を客観的なデータで示すことも可能でしょう。もちろん、「味は食べてみれば分かる」と言って、リンゴの皮をむいて試食させてくれる八百屋さんも魅力的ですが、宗教学科で学ぶ人たちには、データや客観的な知識を駆使して「天理教」について説明するスキルを身につけてもらいたい、と思っています。


天理教学の研究領域について

 それでは、春学期に紹介した「天理教学の研究領域」をもう一度確認しましょう。




 秋学期は、主に後半の③歴史教学④実践教学の諸分野について学んでいきます。春学期と同じように、基礎的な理論や代表的な研究成果を紹介する程度になりますが、来年からそれぞれの分野について、より深く学んでいくことになります。

 2年次以降に受講する授業の準備のような講義になりますので、基本的な概念歴史的人物の名前などは、しっかり覚えるようにしてください。また、紹介した文献などは、出来るだけ自ら手に取ってみてください。この授業で文献を紹介しているのは、皆さんに自分で読んでもらうためであり、この授業で紹介した内容を学ぶだけではあまり意味がありません。

 また、「補助教学」に分類した学問分野は、宗教学科の専門科目として学ぶさまざまな学問の内容とほぼ一致しています。せめて簡単な概要くらいは、この授業のなかで紹介しておきたいと思っています。

 秋学期は、次のような【授業計画】にもとづいて、講義を行なう予定です。

 1.天理教学の研究領域と歴史教学・実践教学
 2.教祖伝①―歴史的事実と信仰的真実―
 3.教祖伝②―史実・信仰・逸話― 
 4.天理教史―教祖伝と天理教史― 
 5.教会史と伝道史
  ―教祖を慕う人々の歩み― 
 6.教理史と思想史
  ―思想史としての教理研究史― 
 7.救済史―人類史の更新― 
 8.「つとめ」の実践 
  ―世界の運命を転換する祈り―
 9.「さづけ」の実践 
  ―「わたし」の運命を変える祈り― 
 10.教会論 
  ―現代社会における教会と未来の可能性―
 11.布教伝道 
  ―陽気ぐらしの世界を実現する営み―
 12.社会活動 ―道と社会の接続―
 13.補助教学とは ―宗教研究と天理教学―
 14.天理教学と天理教研究
  ―外からの視座と内からの視座―
 15.まとめ

 それでは、次回はまず「歴史教学」の分野の「教祖伝」から紹介をはじめましょう。「信仰と学問」の関連性を意識しながら、これまで蓄積されてきた教祖伝研究の意義について考えます。


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★ブログでは、基本的に敬称を省略しています★



2021年6月19日土曜日

天理教学概論1 第10回


世界における人間の位置

―天理教の神観・世界観―


信仰的真実と信仰的行為

 前回は、教祖論についての講義でした。教義の上では、教祖は「ご存命」であると教えられていますし、教祖殿では食事や入浴なども生前同様の世話取りがなされています。しかし、たとえ教祖殿へ出向いても、実際に教祖にお会いすることはできません。

 とはいえ、身近な人が病に苦しんだり突然の事故に会ったりしたとき、当人に「さづけ」を取りついだあと教祖殿に足を運んで祈りを捧げている際に、教祖はやはりご存命であると実感することがあります。

 私自身は、もう何年も毎日教祖殿に足を運んで、教祖にご挨拶をしてから一日をはじめるようにしています。その間に、存命の教祖の存在やはたらきを実感した―というより、実感したように感じた―ことは、何度もありました。

 しかし、この実感に証拠はありません。昨日と同じように今日も教祖殿に足を運び、教祖にご挨拶したときに、自然と感じるものです。きっと明日の朝、また教祖殿に足を運んだときにも、また別なかたちで実感できるはずだと思っています。

 信仰的な真実は、つねに信仰的な行為とともにあります。この信仰的な真実を言葉で説明することは容易ではありません。しかし、その困難な営みに取り組むことが、「信仰の学」である天理教学(とくに組織教学/教義学)の役割なのです。


神・月日・をや

 今回のテーマは、天理教の神観念と世界観です。かなり抽象的な表現もでてきますが、組織教学/教義学の要になる部分ですので、基礎的な言葉や概念くらいは覚えるようにしましょう。

 天理教の神観念について考える場合に、まず基本になるのは、やはり「おふでさき」です。教祖(おやさま)が親神の思召を受けて、直接に筆を執って書き記された「おふでさき」は、天理教の教えについて考える場合に最も重要なテキストです。

 最初の方の授業で紹介したように、具体的には「筆、筆、筆を執れ」と耳に聞こえて、筆を持つと手がひとり動いた、と伝えられていますので、教祖の直筆である以前に「おふでさき」の内容―少なくとも信仰的に―は、親神の直接の教示であるということになります。つまり、多くの場合に「おふでさき」の語りの主体は、教祖ではなく親神であるということです。

 それでは、その「おふでさき」において語りの主体は、どのように表現されているのでしょうか。




 たとえば、ある大人の男性が小学校低学年くらいの子供に話かけている光景を思い浮かべてください。その男性が「お父さんは・・・」と子供に話しかけていれば、その男性は子供の父親であって、二人の関係は親子であることが分かります。もし、男性が子供に「先生は・・・」と話かけていれば、二人は担任の先生と生徒なのかも知れません。

 このように、発話の主体の名称「発話者」の「属性(あるものに共通して備わっているとされる性質や特徴)」を知るうえでかなり決定的な意味を持ちます。「おふでさき」の語りの主体は、基本的に親神ですので、「おふでさき」のなかで話し手がどのように表記されているかを明らかにすれば、親神の属性/天理教の神観念を知る手がかりになるはずです。

 天理教の二代真柱・中山正善氏は、この話し手の自己言及に注目して「おふでさき」を研究し、全17号のなかでその表記がまず「神」から「月日」へ、さらに「をや」へと移り変わっていくことを明らかにしました。




 具体的には、第6号の半ばくらいまでは「神」の表記が使われ、ちょうど教祖が赤衣を召された頃のお歌から第14号のはじめまでは「月日」、それ以後は大体「をや」の表記が使われています。第17号では「神」と「月日」に戻りますが、「月日」から「をや」へと名称が変わる際には、

いまゝでハ月日とゆうてといたれど もふけふからハなまいかゑるで(ふ14:29)

と、記しています。

 ここでは、明確に名称変更の意志が表明されていますので、「おふでさき」全体を通して、意図的な名称の変更がなされていることは間違いないでしょう。

 また、このことから「おふでさき」全17号は、単体の和歌を1,711首集めた歌集ではなくて、そこには全編を読み通すことによって理解できる共通した思召があると考えられました。


元の「神」・実の「神」 

 それでは「神」という名称は、どのように表記されているのでしょうか。「おふでさき」の前半では、「○○の神」というように、さまざまな表現がなされています。しかし、それぞれに共通する意味を考えると、ほぼ「もとの神」「じつの神」に集約することができます。

 このため、『天理教教典』『稿本天理教教祖伝』に記載された立教の宣言は、古い文献では「我は天の将軍なり」と記録されているものが多いにも関わらず、「我は元の神、実の神である」という表現になっているのです。

 まず、①「もとの神」のカテゴリーに含められる「おふでさき」のお歌をいくつか紹介しましょう。

いまゝでにない事はじめかけるのわ   もとこしらゑた神であるから     三号 18
このよふのにんけんはじめもとの神   たれもしりたるものハあるまい   三号 15
このよふをはじめた神のゆう事に     せんに一つもちがう事なし       一号 43

 これらのお歌からは、親神は人間と世界を創めた創造神であること分かります。親神は「もとこしらゑた神」であるとともに、「このよふのにんけんはじめもとの神」であり、だからこそ、教祖を通して伝えられるその神の言葉には「せんに一つもちがう事」はないのです。難しい表現を使うと、第一原因としての神には「無謬性」がある、といった言い方になります。

*世界と生命の創造者・第一原因・・・無謬性

 また、

このよふを初た神の事ならば  せかい一れつみなわがこなり     四号 62

とあるように、この世界と生命を創造した親神と人間の関係は親子であるとして、創造者である親神と人間の「連続性」が強調されています。しかし、次のお歌にあるように「もとの神」は、教祖が現れるまでは「かくれたる神」でした。

このよふを初た神のぢうよふを  みせたる事ハさらにないので   四号116

「もとの神」の存在は、教祖を通してはじめてわたし達人間に伝えられたのです。

 さらには、

ほふやとてたれがするとハをもうなよ  このよ初た神のなす事    五号 39

とあるように、「もとの神」は「全能」の存在であり(全能性)

このよふを初た神の事ならば  とのよな事もみなみゑてある   十二号 40

とあるように、すべてを見抜き見通す「全知」の存在であると言われています(全知性)。このような「もとの神」が、「いまゝでにない事」すなわち、この世界の真実を教祖を通して世界へ伝える、とされています。

*人間と親神の連続性・かくれたる神・全能の存在・全知の存在

 



 次に、②「じつの神」に区分けされるお歌は、以下のようなものです。

しんぢつの神がをもていでるからハ  いかなもよふもするとをもゑよ    三号 85

「しんぢつの神」は、教祖を通して世界に現れて「いかなもようもする」言われています。これは、親神の動的側面(顕現者)を表すお歌です。

 また、 

しんぢつの神のざんねんはれたなら  せかいの心みないさみでる  四号 35

とあるように、親神は世界と人間のあり方変革をもたらす存在です。この世に現れた親神のはらたきを通して人々が世界の真実に目覚めるとき、世界は本来あるべき姿に変わっていきます。

 そして、

しんぢつの神のはたらきしかけたら   せかい一れつ心すみきる   五号 49

とあるように、この親神のはたらきによって、人間はその本来与えられている可能性/陽気ぐらしを実現できます。創造者である「もとの神」が、教祖を通してこの世界に現れた「じつの神」として、現実的な変革をこの世界にもたらすのです。

 教祖を通してこの世界に顕現した親神によって、現実の世界は変革されて、本来あるべき陽気ぐらしの世界が実現していく、と教えられています。

*顕現者・世界の変革者・救済者としての親神

「もとの神」、「じつの神」という名称/概念によって表わされているのは、創造の神による救済の実現過程であるということができるでしょう。


月 日

「おふでさき」では、

たん/\となに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ  三40・135

とあるように、この世界自体親神の「からだ」であり、世界は親神の守護に満たされて存在するとされています。この世界と親神の関係について、端的に表している名称が「月日」です。天上に輝く月日のように、親神の守護はつねに変わらず、遍くこの世界を照らしています。

*親神の守護:創造・育成・救済という親神のはたらきのすべてを表す言葉。

 この親神の守護に満たされた世界のなかで、すべての人間は今日一日を生かされて生きているのです。このことは、「こふき」別席の話のなかで、「十全の守護」にまとめて説かれています。「十全の守護」については、天理教の人間観のところで「かしもの・かりもの」の教理とともに詳しく説明します。ここでは、親神と人間、あるいは「身体」としての人間と世界の連続性を確認するだけにしておきましょう。

「おふでさき」によれば、親神はこの世界と生命を創造した存在であるばかりでなく、現在この世界に存在する、すべての生命の営みすべてを維持する「守護者」でもあります。この守護者の側面については、すでに紹介した伝承的教理のなかで、体系的に説明されています。ここでは、『天理教教典』の記述を簡単に紹介しておきます。

くにとこたちのみこと人間身の内の眼うるおい、世界では水の守護の理。
をもたりのみこと:人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理。
くにさづちのみこと:人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理。
月よみのみこと:人間身の内の男一の道具、骨つっぱり、世界では万つっぱりの守護の理。
くもよみのみこと:人間身の内の飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護の理。
かしこねのみこと:人間身の内の息吹き分け、世界では風の守護の理。
たいしよく天のみこと:出産の時、親と子の胎縁を切り、出直の時、息を引きとる世話、世界では切ること一切の守護の理。
をふとのべのみこと:出産の時、親の胎内から子を引き出す世話、世界では引き出し一切の守護の理。
いざなぎのみこと:男雛型・種の理。
いざなみのみこと:女雛型・苗代の理。

 ここで10種/十柱神に分けて説明されている、現在の世界と人間の生命を維持する親神の守護は、10の神々のはたらきではなくて、親神のはたらきを十種の機能に分けて説明していると理解すべきでしょう。

 この親神の守護は、この世界と人間が創造された瞬間から現在まで、切れ目なく続いてきましたし、これからもそのはたらきは続いていきます。皆さんが眠っている間も心臓は動いていますし、地球の自転は切れ間なく続いています。

 このことについては、「おふでさき」6号の81~88に集約的に述べられています。

月日よりしんぢつをもいついたるわ なんとせかいをはじめかけたら  六号 81
ないせかいはぢめかけるハむつかしい なんとどふぐをみたすもよふを 六号 82
みすませばなかにどぢよもうをみいも ほかなるものもみへてあるなり 六号 83
そのものをみなひきよせてたんぢやい にんけんしゆごはぢめかけたら 六号 84
ないせかいはじめよふとてこの月日 たん/\心つくしたるゆへ 六号 85
このみちをしりたるものハさらになし 月日ざんねんなんとをもうぞ 六号 86
こらほどにをもてはじめたこのせかい 月日の心なんとざんねん 六号 87
月日よりたん/\心つくしきり そのゆへなるのにんけんである 六号 88

「月日よりたん/\心つくしきり」とあるように、変わることのない親神の守護に満たされた世界のなかで、あらゆる生命の営みが絶え間なく繰り返されてきました。そして、その積み重ねのうえに現在の私たちの生活の営みがあるのです(「そのゆへなるのにんけんである」)。

「おふでさき」には、この「育成者」である親神が、教祖を通してこの世の表へ現われ、人間には知ることのできない、この世界の真実を伝えるとされています。

月日にわせかいぢううをみハたせど   もとはじまりをしりたものなし   十三号 30
このもとをどふぞせかいへをしへたさ そこで月日があらわれてゞた     十三号 31

 教祖を通してこの真実が世界に伝えられることによって、人間ははじめて当たり前に存在している現前の世界日常の生活は、この世界のはじまりの時から親神の守護に支えられてきたことを知ります。天理教の信仰者が、何気ない日常の出来事にもしばしば感謝の表現を使うのは、こうした教えが背景にあるからです。 

*人間と世界と親神の連続性・守護者・育成者

「月日」という名称によって表されているのは、親神の守護に満たされた世界のなかで「生かされて生きている」人間と、守護者・育護者としての親神の連続性ではないでしょうか。


を や

「おふでさき」第14号29に、次のようなお歌があることはすでに紹介しました。

いまゝでハ月日とゆうてといたれど もふけふからハなまいかゑるで 十四号 29

 これまでは、「月日」の名称のもとで「おふでさき」を書き記してきたが、「けふからハなまいかゑる(名前を変える)」としています。このお歌には、次の3首が続きます。

けふまでハたいしや高山はびかりて まゝにしていた事であれとも  十四号 30
これからわをやがかハりてまゝにする これそむいたらすぐにかやすで 十四号 31
けふまてもをやのさねんとゆうものわ 一寸の事でわないとをもゑよ  十四号 32

 第14号が執筆された明治12年頃は、日本の歴史では明治政府が大教院(国民思想の統一を目ざした明治政府の大教宣布運動の中央機関)を解散して、名目上の信教自由が認められるようになった時期です。しかし、同時期には自由民権運動の高揚などを背景にして、宗教活動を含めた民衆運動へのさまざまな規制が強まりました。このため、教祖はこのあと何度も警察等へ「ご苦労」をくり返されることになります。

 もちろん、14号以前にも「をや」の表記は頻繁に使われていますし、17号にはまた「神」と「月日」が名称として使われます。しかし、少なくとも第14号・15号・16号には、「をや」を発話の主体とするお歌が頻出します。

にんけんもこ共かわいであろをがな それをふもをてしやんしてくれ 十四号 34
にち/\にをやのしやんとゆうものわ たすけるもよふばかりをもてる  十四35

 ここでは、「をや」という名称によって人間と親神のより深い関係性が説かれています。

 親神の思召に沿わない人間と世界のあり方について、「をや」である神は「さねん(残念)」であるとし、この世界と人間を「たすける」―すなわち、親神の思召に沿った人間と世界のあり方である「陽気ぐらし」を実現する―ことこそが、親神の望みであることが明確にされています。

*「子どもをたすける親心」と「さねん」

 また、

せかいぢうわをやのたあにハみなこ共  かわいあまりてなにをゆうやら  十四号 52
このせかい高山にてもたにそこも  をやのたにわこ共はかりや  十四号 53

というように、親神と人間の関係は「親と子」の関係であって、すべての人間はその意味ではまったく同列であり、平等であるということが強調されています。

*親子の関係性と子の同質性

 さらには、

このたびわなんてもかてもしんぢつの  をやの心をしらしたいから 十四号 54
このみちハをやがたのみや一れつわ どふそしいかりしよちしてくれ 十四号 56
それからハをやの心がいさみでゝ とんな事でもはじめかけるで 十四号 59

というように、すべての子どもを「たすけたい」という親心を世界に伝えていく具体的な道筋について述べられています。

*「をや」による救済・・・具体的な道筋

 そして「をや」である親神は、子どもである人間のあり方をつねに見守り、守護しているとされます。

をやのめにかのふたものハにち/\に だん/\心いさむばかりや 十五号 66
をやのめにさねんのものハなんときに ゆめみたよふにちるやしれんで 十五号 67

 だから、教祖の教えに触れた人たちは、「をやのめ」に適うあり方を求めて、しっかり毎日を生きることが大切なのです。

*親子の相互関係

 もちろん、「をや」という名称で述べられている親神の思召は、「神」・「月日」の名称のもとで述べられている思召と共通していますし、内容はほとんど重なっています。しかし、「をや」という名称を発話の主体にすると、全体にお歌のニュアンスが変わってきます。次のお歌は、その代表的な例ではないでしょうか。

月日よりないにんけんやないせかい はじめかけたるをやであるぞや 十六号 53

 何もないところからこの世界と生命を創造した親神は、いわゆる創造主というような存在ではなく、世界をつくり、そこに産み下ろした生命を見守り、育ててきた「親」なのです。

「をや」という名称で表されているのは、親神と人間/世界の関係は、時計を組み立ててねじを巻く時計職人と時計のように無機質な関係ではなく、互いのあり方が相互に影響しあう有機的な関係である、ということです。

 親子の関係であれば、古くなった機械を廃棄するように、創造物を簡単につくり直すことはできません。だから親神は、教祖を通して伝えた世界の真実をもとに、子どもである人間が自らの意志で世界を本来あるべき「陽気ぐらし」の世界に転換し、神人和楽の世界を実現することを望まれるのです。

閑話休題

 このようなかたちで、発話の主体を意識しながら「おふでさき」の内容を確認していくと、そのお歌の数は膨大になります。この短いブログのなかで、すべてを紹介することは不可能です。「神」「月日」「をや」の名称を意識しながら、皆さんが「おふでさき」を拝読する際に、自分自身で確認してみてください。

 こうしたことを意識しながら「おふでさき」を拝読すると、少しずつ個々のお歌ばかりでなく、全体の内容についても考えるようになるはずです。ここで学んでいることが、そうした意識の変化を生むきっかけになって欲しい、と願っています。

 ここでは、従来の組織神学/教義学の議論を踏まえながら、親神の属性を「おふでさき」の記述をもとに簡単にまとめてみました。この「親神を、天理王命とたたえて祈念し奉る」と『天理教教典』第4章には記されています。礼拝対象としての「天理王命」の名称「天理教は一神教か、多神教か」といった教学/神学上の議論については、また別の機会に紹介します。天理教の神観念に興味のある人は、とくに次の2冊が参考になりますので、手に取ってみてください。





 組織教学の基本中の基本は、まず自分自身で考えるということです。自分たちが信仰している「神は、どのような神なのか」といった問いに真剣に向き合うことが、その神の教えを信じて生きることの意味を考えることにつながります。                

 しかし、その考察が自分勝手な思い込みであっては、それはただの妄想にすぎないことになるでしょう。教祖は、最も信頼できる教えの基準として「おふでさき」を書き残しています。だから、まず「おふでさき」を通して自分自身の問いと向き合い、さらに原典や伝承に残る教祖の言葉「ひながた」を通して、教祖を通して伝えられた親神の教えの意味問い続けていく姿勢が大切です。

 ここで「問い続けていく」と言ったのは、この営みに終わりはないからです。かつて、天理教教義学の第一人者であった中島秀夫氏は、いつも「教学研究は、謙虚でなくてはならない」と仰っていました。自分の考えだけが正しい答えだと思い込むのではなく、今日昨日と同じように、そして明日も教祖の教えをもとにして、目の前の人生の問いに向き合い続けることが、組織教学の営みなのです。

 今回は、時間の制限もあってかなり雑駁で導入的な議論を紹介することしかできませんでした。しかし、これを機会に原典や伝承的教理教祖の「ひながた」等に真摯に向き合い、この教えを信じて生きていくことの意味について、自ら考える姿勢を身につけてもらいたいと思います。

 本来は、人間観救済観歴史観人生論といった多彩な組織教学の課題について紹介する予定でしたが、リモート講義のために今年の春学期の授業数は限られています。さらなる天理教学の研究領域と今後の可能性については、秋学期に詳しく紹介することにしましょう。

 ブログの内容の理解度を確認したい人は、下記のURLにアクセスし、グーグルフォームの質問に答えてください。

https://forms.gle/Gvp8YWsMKVGEfHKf6




2021年6月9日水曜日

天理教学概論1 第9回


教祖の立場と人類の救い

―教祖論の射程―


 前回の講義では、組織教学の概要と可能性について説明しました。本来であれば、これまでの議論の蓄積について詳しく説明し、これからの展望を述べるべきですが、限られた時間では人の名前や本のタイトルを簡単に紹介する程度しかできません。

 天理教学の営みは、キリスト教や仏教の神学や宗学ほど長い議論の蓄積と多岐にわたる知的伝統に支えられてはいませんが、それでも参照すべき研究成果は残されています。この講義で概略を学んだ皆さんは、それぞれにこの大まかな地図を片手に自分の目的地を訪ねて、教学研究の可能性を広げてください。

 今回は、教祖論の研究について紹介します。

組織教学と教祖論

 天理教の組織教学にとって、教祖論極めて重要なテーマであることは間違いありません。キリスト教において、教祖論であるキリスト論は組織神学の要となるものであり、救い主であるイエスの人性と神性をめぐって、古代のキリスト教会は神学論争を繰り広げ、三位一体(神・子・聖霊)の教説を生みだします。また、イエスの言行に示された人類への愛は、救いの証として重視されました。

 仏教においては、仏身論という「仏陀」の本質に関する議論が、多様な仏教思想が生まれる素地になりました。宇井伯寿のような先学が指摘しているように、とくに中国から日本にかけての大乗仏教文化圏では、仏身論が仏教思想の最も重要なテーマになります。

 現在から2,500年ほど前のインドに生まれ、仏陀(真理を悟った人)になった釈迦牟尼/釈尊は、仏陀になって生死や時空を超越する存在になります。また、釈迦の悟った真理は永遠にして不変であるので、歴史的に存在した人物(色身/応身)ではなく、この永遠にして不変の真理(法/法身)こそが仏陀の本質である、とする二元論的な仏陀論が展開します。さらには、この世界に普遍的に存在している真理が仏性を有する存在を通して顕現し、救いの可能性が実現する姿(報身)が説かれるようになります。

 どちらの場合も、500年から1,000年といった長い時間の議論を経て形成された見解であって、簡単に天理教の教祖論と結びつけることはできません。しかし、天理教のこれまでの歴史とこれから数百年、数千年の歴史の可能性を考えるとき、教祖論が歴史的な思想の展開の中核になっていくことは間違いないでしょう。

 個人的には仏教の仏身論に興味を持っていますが、世界のさまざまな宗教伝統の歴史的展開に関心を寄せることは、天理教の教えの先行きを考えるうえで、とても大切なことだと思います。



 天保9年10月26日、「月日のやしろ」と定まった教祖は、その姿かたちは人間でありながら、内的本質においては神的存在となり、その本質をもって、親神の救済意志と救済実現の筋道を明かし示すことになりました。少なくとも、信仰上はそう考えられています。

 キリスト論との対比で考えれば、まず教祖(おやさま/中山みき)であるのか、それともであるのか、といった問題があります。天保9年以来、教祖の人性はどうなったのか。

 教祖伝の記述を見ると、人間としての立場との葛藤もあったのではないか、と感じる記述も少なくありません。これについては、たとえ神のやしろという立場になったとしても、人としての苦しみや悲しみを乗り越えて、親神の思召を実現していく姿を示したことを重視する見方があります。

「月日のやしろ」である教祖は、寒さも暑さも感じない存在になったのだとすれば、明日食べる米もないという苦しい生活のなかにあって「水を飲めば水の味がする」と周囲の方々を励まし、更に勇んで困窮する人々に施しを続けるエピソードは、胸に迫るような逸話にはならないでしょう。

 このあたりは、仏教やキリスト教のように、長い時間を経て形成された仏伝や聖書の記述とは違う部分です。

 仏教の経典は、基本的に仏陀の言行録になっていますが、「仏教は神を立てない」という一般的な印象とはかなり違って、仏教経典のなかの仏陀はむしろ神のような超自然的存在として描かれています。さらには、後に仏像が造られるようになるとギリシアの神々のように礼拝される対象になりました。教祖である仏陀自身が、真理と一体化した存在、あるいは真理そのものとして神格化されていきます。

 また、キリスト教の教会に足を運び、十字架を目にしたことのある人であれば―もちろん、教派によって様式は異なりますが―誰でもイエス・キリストの神性がキリスト教徒にとって重要であることを実感するでしょう。建物のなかに礼拝の対象が存在しない、イスラームのモスクを訪れたなら、ムハンマド(マホメット)とイエスの立場の違いがよく分かります。

 天理教教会本部では、ぢばの地点において親神・天理王命を拝し、その北側に教祖のお住まいである教祖殿が在ります。このかたちのルーツは、明治二十一年七月二十四日(陰暦六月十六日)の「おさしづ」に「二つめどう」とあることでしょう。各地の教会においても親神様と教祖は、一体化したかたちで礼拝されてはいません。しかし、『天理教教典』には「実に、天理王命、教祖、ぢばは、その理一つであつて、陽気ぐらしへのたすけ一条の道は、この理をうけて、初めて成就される」とあります。



天理王命」と「ぢば」と「教祖(おやさま)」は、どのような関係にあるのか。信仰上は、それをただそのままに受け容れるべきでしょうが、こうした課題について実証的な根拠をもとに合理的で論理的な議論を積み重ねて行くことが、組織教学としての教祖論の大切な役割になります。簡単に結論を出すのではなくて、100年、1,000年といった時間を意識しながら、考え続けていくことが大切ですし、自分なりの答えを見いだす努力を続けていくことが大事です。

 仏教、キリスト教、イスラームにおいても教祖論の展開は、それぞれの宗教伝統が浸透する地域の文化や人々の生活に多大な影響を及ぼし、教祖論をめぐる議論の対立は、しばしば歴史を動かす要因の一つになってきました。500年後、1,000年後の未来に思いを馳せるとき、現時点において天理教の教祖論にしっかり向き合うことは、やはり重要なことではないかと感じます。

 もちろん、この分野の研究成果はかなり古い時期から蓄積されていますが、深谷忠政先生の導入的な序説がありますので、まず手に取ってみてください。➡『天理教教祖論序説』




『稿本 天理教教祖伝』と教祖論

 教祖論の各論は、立教以来の教祖の営みに即して考えていく必要があります。『稿本天理教教祖伝』(天理教教会本部が刊行する教祖伝)は、第1章「月日のやしろ」冒頭の立教の宣言から始まっています。

 教祖(おやさま/中山みき)の伝記であるのに、出生の出来事から始まるのではなくて、41才「月日のやしろ」(親神の啓示を伝える立場)となられた出来事から教祖伝は始まっています。これは、古い教祖伝の記述のパターンに従った部分もあるとは思いますが、やはり「月日のやしろ」としての教祖の立場を強調しているのではないでしょうか。


『稿本 天理教教祖伝』構成

第一章 月日のやしろ 

第二章 生い立ち 

第三章 道すがら 

第四章 つとめ場所 

第五章 たすけづとめ 

第六章 ぢば定め 

第七章 ふしから芽が出る 

第八章 親心 

第九章 御苦労 

第十章 扉ひらいて


 立教(教祖が「月日のやしろ」となったこと)以前の「生い立ち」については、第2章に描かれています。第3章「みちすがら」以降は、再び「月日のやしろ」となられたあとの出来事が記述されていきます。初期の出来事では「貧に落ちきる」行為や「をびや許し」による道明けなどが、教祖論にとって重要になってきますし、これまでもこれらのテーマについては多彩な議論がなされてきました。

 つとめ場所の普請から「大和神社のふし」といった一連の出来事は、教祖の教えの説き方を考えるときに重要です。また、戊辰戦争に揺れる激動のなかで「つとめ」の地歌手振りを教え「おふでさき」の執筆を始める教祖の姿勢には、「月日のやしろ」の教えの厳粛さを感じます。

 さらには、急速な教えの広がりと当時の社会状況の重なり合いによって、教祖が頻繁に警察や監獄所「御苦労」される姿には、教祖の揺るぎない神一条の信念と親神の教えを世界に広げようとする強い意志を感じます。

*個々の内容については、天理教教祖伝概説の授業でしっかり学んでください。

 さらには、教祖論と最も深く関わる事柄としては、明治20年陰暦正月26日(西暦2月18日)に教祖が現身をおかくしになり、その後「存命の理」によって、生前同様に働かれることになった出来事が重要です。

*現身をかくす・・・教祖が逝去すること。教祖は「存命」のままであると信じられているため、この表現が使われる。

 イエスの伝記における「復活」と「昇天」や仏陀の伝記における「入滅」と「涅槃」のように、教祖の「現身おかくし」と「存命の理」は、天理教の教祖論の中核になるでしょう。明治20年の現身おかくし以降は、ご存命の教祖の存在を前提として「おさしづ」が教示されることになります。

 教祖伝の具体的な研究については、秋学期の歴史教学のところで詳しく紹介します。興味のある人は、まず『稿本天理教教祖伝』が刊行された際の講習会である「第16回教義講習会」の講習録を参照してください。抜粋された内容が、道友社から刊行されています。宗教学科で学んだ人は、絶対に書棚に並べて欲しい本の一つですので、ぜひ蔵書に加えてください。




教祖の立場と教祖論

 天理教の教祖論の中核になるのは、いわゆる教祖の三つの立場です。教義学としての教祖論においては、まずこの基本的な教義―天理教教会本部の権威において裁定された、正当な教説―を前提にして、教祖論について考えていくことになります。


 まず、一つ目の立場は①「月日のやしろ」です。

 天保9年(1838)10月26日、教祖は「月日のやしろ」に定まりました。「おふでさき」には、

いまなるの月日のをもう事なるわ くちわにんけん心月日や    十二号 67

しかときけくちハ月日がみなかりて 心ハ月日みなかしている  十二号 68

とあります。「月日のやしろ」となった後の教祖の言行は、親神・天理王命の意思を直接に伝えるものであって、これまで人間には知ることのできなかった「真理」の顕現なのです。

 つまり、教祖の存在絶対無限なる親神の思召が、有限相対である人間にもたらされる通路(ポロス)なのであり、だからこそ天理教は【啓示宗教】であると主張しているのです。

 次は、②「ひながたの親」の立場です。

 41才で「月日のやしろ」になられてから、90才で現身をかくされるまで、教祖は50年及ぶ具体的な行為を通して、「万人のひながた」(モデル)となる正しい人間の生き型を示されました。この「ひながた」を通してはじめて私たちは、教祖は「月日のやしろ」であり、そのメッセージは神の言葉であると信じることができるのです。

 自分は「神」であると語ることは誰にでもできます。しかし、周囲の人々に「あの人は神である」と見なされるような生き方することは、教祖以外に出来るとは思いません。教祖の「ひながた」によって、「本来あるべき人間のあり方」(神一条/たすけ一条)が具体的に示されたことによって、全人類の救済の可能性が開かれるのです。

「ひながたの親」という教祖の立場は、【救済宗教】としての天理教の性格をよく表しています。

 さらには、③「存命の理」の立場があります。

 明治20年(1887)旧暦正月26日、教祖は90歳で現身をかくされました。

 しかし、「おさしづ」に「さあへこれまで住んで居る。何処へも行てはせんで、何処へも行てはせんで。日々の道を見て思やんしてくれねばならん」とあるように、現在も教祖は存命のまま、現身をかくされる以前と変わらずに働いていると信じられています。

 このため、教祖殿では生前と同様教祖のお世話をさせていただき、朝のご挨拶、朝づとめ、朝食、お四つ、お八つなどの時間を設けるとともに、「さづけ」、「証拠まもり」、「をびや許し」、結婚式といった御用をおつとめいただいたあと、さらに夕食、入浴、ご就寝まで、存命の存在としてお世話をしています。

「月日のやしろ」である教祖によって啓かれた「親神の教/世界の真実」への通路は、「ご存命」の教祖の働きを通して、現在も啓き続けているのです。

 教祖存命の理は、天理教が【生きた信仰】であることの証なのではないでしょうか。



 こうした教祖の立場について考えることは、教祖を身近に感じる機会であると同時に、自らの信仰者としてのあり方を見つめ直す機会にもなります。何か特別な営みではなく、信仰者としての毎日の生活のなかで、考え続けていくべき課題ではないでしょうか。

 私自身も定期的に、『稿本天理教教祖伝』をくり返して何度も拝読しています。皆さんも在学中に、せめて一度は通読して教祖の存在ついて考えてみてください。

 ブログの内容の理解度を確認したい人は、下記のURLにアクセスし、グーグルフォームの質問に答えてください。




2021年6月2日水曜日

天理教学概論1 第8回


組織教学/教義学の可能性

月日の教の人間学/臨床教義学のすすめ


*第1回からの授業をブログに順次公開しています。「ホーム」から閲覧できますので、試験等の準備に役立ててください。

組織神学と組織教学

 これまで、春学期の授業ではいわゆる「原典学」の領域に入る研究分野について紹介してきました。ここから残りの時間は、「組織教学/教義学」と呼ばれる分野における研究について紹介していきます。学期末の試験を考えて、紹介される人物の名前文献のタイトル基礎的な概念などをしっかり覚えるようにしてください。

 天理教学の研究分野の一つとして「組織教学/教義学」を想定する場合には、キリスト教の神学の一分野である「組織神学・教義学」が意識されています。仏教の場合は、一般に教義学や組織神学のような言葉は使われません。

 仏教の経典を「経(スートラ)・律(ヴィナヤ)・論(アビダルマ)」の三種に分ける場合の「論(アビダルマ)=教説の哲学的解釈」が、組織神学に対応するテキストになるかも知れません。しかし、その場合も教えの源泉を仏陀=釈迦のみに限定しない仏教の経典は極めて多様であり、ある特定の権威あるテキストをもとに教説を体系的に展開する組織神学・教義学とは似て非なるところがあります。このため、「原典」を教えの究極的なリソースとする天理教の教えの体系的な説明は、しばしばキリスト教の神学をモデルとしてきました。

*仏教やキリスト教については、2年次以降の講義でより深く学びます。

 キリスト教の神学では、「組織神学」聖書を絶対的基準として、教会の歴史的遺産である信条/信仰基準(使徒信条、ニカイア・コンスタンティノポリス信条、カルケドン信条、アタナシオス信条など)を参考にしながら、聖書に啓示された真理を体系的に提示し、教会形成や伝道に資することを目的とする学問です。

 ここで「組織的」(systematic)と言っているのは「体系的」とほぼ同義であり、神の言葉/真理について体系的に考える神学といった意味になるでしょう。とくにプロテスタント系の神学者たちは、「組織神学」と題する著作をたくさん刊行していますが、個人的にはパウル・ティリッヒヴォルフハルト・パネンベルクといった、20世紀の神学者たちが著した「組織神学」に関心を持っています。また、近年ではチャールズ・テイラーのような、カトリック系の思想家も極めて興味深い著作を発表していますので、ぜひ図書館で手に取ってみてください。







 いま、ここに生きている私たちにとって、私たちが信じる神の教えはどのような意味を持っているのか。こうした「問い」について、人間の本質世界の現状に関する幅白い知識や学術的な分析を背景に深く考え続けていくことは、キリスト教や仏教や天理教といった宗教伝統の差異を超える、極めて重要な人間の知的営為です。ちなみに、「考えていく」ではなくて「考え続けていく」としたのは、「答えを出す」ことが体系的な神の存在や神の言葉の探究の目的ではなくて、現実を直視して「問いと向き合う」ことが、この知的営為の本来の目的であるからです。



 キリスト教の組織神学は、一般に教義学とイコールではなくキリスト教倫理学弁証論/護教論を含むと考えられています。しかし、基本的人権や思想信条の自由を前提とする現代社会やこれからの世界においては、特定の視座に縛られた倫理学や弁証論/護教論は、あまり意味をなさなくなるでしょう。もし、天理教の組織教学にもキリスト教の組織神学のように倫理学や弁証論が必要とされるとすれば、それは天理教人間学と呼ばれるようなものになるはずです。

➡特定の信仰ではなく、宗教一般の弁証論/世界レベルの倫理学

 これからの時代に生きる人たちに信仰の価値を伝えるためには、現代における宗教/信仰の必要性について人間の本質に立ち返って議論する、いわば「宗教」の護教論が求められるでしょうし、倫理規範について議論する場合には、人類全体にとっての世界レベルの倫理について考える必要があります。

 特定の信仰の立場だけを擁護する護教論や特定の人々の生活規範に偏った倫理は、グローバル化が進み自分の国や文化の未来ではなく、人類の未来が語られるようになった時代にはもう必要とされません。また、教祖の教え自体が、偏狭なナショナリズムや差別意識とは無縁です。

 天理教の信仰をもとに、これからの時代の人類にとって、なぜ宗教/信仰は必要なのか、という問いと真摯に向き合い、説得力のある答えを見つけていくことが大切です。さらには、教祖の教えや「ひながた」をもとに、全人類に普遍的な世界レベルの倫理について考えていくことが求められています。

天理教の組織教学/教義学

 このため「組織教学」の中核は、天理教の場合にも「教義学」になるでしょう。ただし、天理教の場合は「教義」とされるものが、教会組織の権威において裁定されるまでに長い時間がかかりました。

 現行の『天理教教典』が刊行されたのは昭和24年のことであり、教祖が現身をかくされてから、すでに60年以上経っていました。とはいえ、キリスト教の場合は最初の公会議である第1ニカイア公会議(325年)までに、300年以上の時間が経過していますし、仏教の場合も釈迦の死後すぐに主な弟子たちが集まって、基本的な教えや戒律などを確認したとする伝承はありますが、公会議に匹敵するような集会(結集)が行なわれるのは、仏滅から100年ほど経過した時期のこととされています。それと比べるなら、『天理教教典』の成立はそれほど遅くはないのかも知れません。

*現身をかくす・・・教祖が逝去すること。教祖は「存命」のままであると信じられているため、この表現が使われる。

 現行の『天理教教典』よりも前に、明治36年(1903)に編纂された『天理教教典』は、戦前に天理教が一派独立請願を進める過程で編纂したものでした。編纂の中心になったのは、神道学者の井上頼圀逸見仲三郎(主に逸見)であり、天理教の教えと異なるとまでは言えませんが、原典や伝承に残された教祖の教えを忠実に反映したものとは言えませんでした。

*明治36年編纂の『天理教教典』は、しばしば「明治教典」と呼ばれて現行の教典とは区別されています。

 以前の授業で、少し紹介したような歴史的背景のもとで「原典」が公刊され、教祖の教えに忠実な教典を編纂しようとする動きはありましたが、これも戦時下の厳しい状況のもとで後退を余儀なくされ、戦後数年が経過して、ようやく現行の『天理教教典』が裁定されたのです。天理教教典の扉裏には、以下のような裁定文が記載されています。

「本書は おふでさき みかぐらうた 及びおさしづに基き 天理教教会本部に於て編述したもので 天理教教規の定めるところにより これを天理教教典として裁定する」

 現在の『天理教教典』は、「おふでさき」「みかぐらうた」「おさしづ」を原典とし、そこに示されている親神の思召を体系的に説明した教典なのです。さらに本書は、天理教教規の定める所に従って天理教の教義を明示したものであり、その意味で、規準とすべき正統的教説であって、天理教教会本部がその権威と責任において提示する組織化された教えの大綱であると見なされています。

 とはいえ、あくまでも「教典」は原典に基づいて編述された組織的・体系的な教えの説明であり、その正しい理解のためには、つねに原典への遡及が求められます。こうした意味で、教典は原典への手引書としての役割をもつことにもなりました。

 昭和23年10月28日より30日まで行われた、第13回 教義講習会において『天理教教典稿案』が取り上げられ、細部に及ぶ内容の説明と討議が行われます。この講習会の記録は、天理教教義及史料集成部編『天理教教典稿案講習録』(天理教道友社、昭和24年)として刊行されていますが、この時の議論を始まりとして、今日に至るまで多くの天理教教義学研究が出版されてきました。

 歴代の宗教学科の教授陣は、初代学科主任の諸井慶徳先生をはじめ、深谷忠政先生中島秀夫先生松本滋先生澤井義次先生など、代々天理教教義学に関する著作を刊行してきました。宗教学科に学ぶ皆さんは、在学中にこれらの本は必ず手に取って学んでください。






 天理教における「教義学」は、厳密に言えば正式な教義というものが明文化されて教会本部の権威において裁定された、現行の『天理教教典』の刊行によって、はじめて成立することになります。



 しかし、昭和24年以前にも教祖の教えを組織的・体系的に説明し、同時代に生きる人々に教えを発信する営みは広く行われていました。これら教義の裁定以前の組織教学の営みについても、ある程度は目配りしていくことが大切です。

 明治から大正、昭和の初期くらいに執筆された教理の解説書などにも、現在に共通する課題が論じられていてしばしば驚きますし、現代の問題を考える新たなヒントを得られることが少なくありません。

組織教学/天理教人間学の可能性

 天理教の場合にもキリスト教と同じように、組織神学のなかに教義学以外の領域を設ける必要があるかどうかは、今後議論を重ねていく必要があるでしょう。

「天理教に道徳神学はあるのか?」といった問題については、すでに諸井慶徳先生が議論していますし、これも諸井先生の著作である『人間完成の道としての天理教』には、現代世界に生きる人間にとっての宗教の存在意義から議論をはじめて、天理教の教えの意義を説く営みがすでに見られます。これらの議論を発展させていくことが、今後の組織教学の大きな役割になっていくでしょう。

 具体的に言えば、人間の本質を問う最新の知見を背景にして、今日における宗教/信仰の意義と現代社会における宗教の役割を確認し、そのうえで教祖の教えを信じて生きることの意味を問い直すような営みが必要とされるでしょう。

 先ほども少し述べましたが、グローバル化が進んで異文化や異社会間の交流が頻繁になり、他者の理解基本的人権を尊重する意識が一般化した21世紀の世界において、自らの宗教伝統の優位性を他宗教に対して主張することは、あまりポジテイブな議論ではありません。むしろ、場合によってはネガテイブな結果を生むこともありえます。

 これからの時代の護教論や弁証論に求められているのは、自分たちの教えの弁証ではなくて、「宗教」や「信仰」自体の弁証であり擁護でしょう。こうした「宗教」の弁証論があって、はじめて天理教の弁証論も可能になるのです。これからの時代に生きる人々に対して、神や究極的な真理の存在を信じて生きることの意味を問いかけるような、新しい言葉を紡いでいくことが、どの宗教伝統に属する教義学者にも必要とされている、大切な役割の一つではないでしょうか。

 また、21世紀の道徳神学は、一つの民族や国家文化の枠組みなどに限定されるようなものであってはならないでしょう。たとえ、天理教やキリスト教のように限定された宗教伝統から生まれたものであったとしても、それはどの社会や文化に属する人々にとっても普遍的に受け容れられていく規範でなくてはならないはずです。

 古代や中世の時代を通過してきたキリスト教や仏教の倫理規範のなかには、かなり性別や人種、社会的地位などに関する偏見や差別を助長するようなものがあります。古い時代には常識であったことが、200年、300年後の社会では通用しない、といったことはむしろ当然です。

 こうした課題について、多くの宗派や教派は自己批判を通して従来のあり方を改めて、新たな時代に向けて脱皮を図ってきました。これらの足跡に学びながら、これからの時代に生きる人々に、あるべき人の生き方のモデルを示していくこともまた、21世紀の教義学者に求められている役割の一つであると思います。



 これらの営みは、いま、ここに生きるすべての人たちにとって、人生の問題に向き合う力を与えてくれるような、現実的で実践的な思索でなくてはならないでしょう。こうして、教義学の営みには観念の遊戯ではなく、臨床教義学ともいうべき具体性が求められていくことになるのです。

 次回からは、天理教の組織教学/教義学のこれまでの成果を分野別に紹介しながら、これからの課題と可能性について、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

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2021年5月25日火曜日

天理教学概論1 第7回


「こふき」と伝承的教理

―世界の真実と人類の救済―


*第1回からの授業をブログに順次公開しています。「ホーム」から閲覧できますので、試験等の準備に役立ててください。

伝承的教理の役割

 教祖(おやさま/天理教の教祖・中山みき)を通して伝えられた、親神の教えの根幹を探求する営みは、啓示にもとづく「三原典」を基準にすべきであることは言うまでもありません。

 しかし、「原典」の記述はしばしば断片的で、基本的な教理についても多くは、まとまったかたちで説明されていません。このため、和歌や数え唄の形式で表現された、原典の多彩な象徴表現の意味を適確に理解し、そこに説かれた教えの内容を体系的に把握することは決して簡単ではありません。

「おふでさき」を日常的に拝読している人に、「おふでさきには何が書いてあるのですか?」と質問しても、なかなか明確な答えが得られないのはこのためです。たとえば、基本教理である「十全の守護」「八つのほこり」の説き分けなども原典自体には、まとまったかたちで述べられてはいません。それでは、このような教えの体系的な把握は、どうして可能になったのでしょうか。

 こうした教えの全体的な見取り図を考えるうえで、原典とともに重要なのが教祖を通して伝えられた「伝承的教理」なのです。教祖から直接に教えを受けた人々や、その教えを伝え聞いた先人たちの残した「伝承的教理」は、たんに過去を知るための史料であるばかりでなく、原典の言葉の解釈を補い、天理教の教えの理解をより体系的で確実にするガイドラインとなるものです。このため、「伝承」として言い伝えられたり書き残されたりした、教祖のお言葉や説かれた教えは、「原典」とはまた違ったかたちで、天理教の教えを学ぶうえで極めて重要な意味を持っているのです。

伝承的教理と「こふき本」

 この「伝承的教理」を代表するのが、いわゆる「こふき本」と呼ばれているものです。明治十三年から十四年頃、教祖は身近な人々にまとまった教理を何度もくり返して説き聞かせました。これが今日、「こふき話」と称されるものです。この教理のお話しは、教祖に代わって親神の教えを取り次ぐ「取次」ないし「取次人」を養成し、仕込むためのもので、教祖は何度もくり返して同じお話を覚えるまで仕込まれたようです。

 また、ちょうど同じ頃に教祖は、側近の人々に「こふきを作れ」と仰せられました。このため、取次と呼ばれた側近の人々は、それぞれに教祖から聞いたお話を書きまとめて提出しています。このことは、当時書きとめられた写本に、次のような記述があることからも明らかです。


「にち/\にをはなしありたその事を くハしくふでにしゆるするなり」

(和歌体十四年山澤本)


こうして書きとめられた写本が、「こうき話写本」とか「こふき本」と呼ばれるものです。

 明治十四年に書き記された「十四年本」にはじまり、教祖が現身をかくされる明治二十年まで、多くの写本が伝存しています。明治十四年の写本には、「おふでさき」と同じように和歌体で書き記された「和歌体本」もありますが、多くは散文体で教祖が口述で説かれた教えを書きまとめています。

 また、一般的な和綴本の体裁をとった写本ばかりでなく、かなり大きな巻物の写本もあるなど、その体裁はかなり多岐にわたっています。とはいえ、記載された教理の内容自体は、教祖がくり返し話して聞かせたものですので、基本的にはどの写本も内容はほぼ同じになっています。

 ただし言い伝えによると、教祖はどの「こふき本」についても「これでよい」とは仰せられなかったそうです。このため、教祖の直筆とされる「おふでさき」や「みかぐらうた」、さらには神の言葉をそのまま書き取った「おさしづ」などに比べて、啓示の直接性は低いと考えられています。しかし、その内容は教祖がくり返して仕込まれた基本的な教理であり、教祖を通して伝えられた親神様の教えを知るうえで、極めて貴重な文献であることは間違いありません。

 その内容は、「元はじまりの話」(教祖を通して伝えられた、この世界と生命の創造の説話)を中心に基本的な教理をまとめたものです。明治十四年の写本にはありませんが、明治十六年以後の写本の多くには、「前の部」として教祖の略歴が附記され、とくに立教の経緯について詳しい説明があります。

 元はじまりの話が主要な部分を占めるため、古くは「泥海古記」などと呼ばれていました。しかし、原典とともに「こふき本」についても詳しく研究した二代真柱・中山正善氏は、自著の『こふきの研究』のなかで、「こふき」を「古記」と表記するのではなく、「口記」と漢字表記するべきではないか、と提言しています。実際に「こふき本」を手にすると、人間と世界の創造の説話だけが説かれているのではなく、元はじまりの話を中心に、さまざまな基本的教理が順序立ててまとめられていることに気づきます。



「こふき本」のなかで語られる「元はじまりの話」は、この世界と生命の成り立ちを伝えるばかりでなく、この世界のはじまりの時になされた約束にしたがって、教祖が「月日のやしろ」(親神の意志を直接に世界に伝える立場)になったことが強調されています。また、「元はじまりの話」は教祖によって伝えられた「かぐらづとめ」の形式と、その意味を説明する話でもあることが詳しく説かれています。

 さらには、「十全の守護」(この世界に遍在する親神のはたらき)の詳しい説明にはじまって、一人ひとりの人間が「かしもの・かりもの」の真実に目覚めて「八つのほこり」を反省し、親神様の思召に沿った生き方ができるようになれば、「ぢば」に据えられた「かんろだい」を中心に教えられた通りの「つとめ」が完成し、神人和楽の「陽気ぐらし」の世界が実現すると説かれています。

※「かしもの・かりもの」➡人間の身体は親神からの「かしもの」であり、人間の側からすれば「かりもの」であるという基本教理。

※「八つのほこり」➡「かりもの」の身体を親神の思召に即して使う/正しく生きるために、毎日の心のつかい方を反省する基準。

※「ぢば」➡元はじまりの時に、人間/生命が宿しこまれた場所。この世界に存在するあらゆる生命の始原の場所。

※「陽気ぐらし」➡教祖の教えにもとづく生き方が広がることによって、実現していく理想世界。

 古い写本を朗読すると、当時の教祖の面影を感じて目頭が熱くなることも少なくありません。シンプルな表現のなかに、極めて深い意味を含んだ言葉や表現が多く、簡単にすべてを理解することはできませんが、教祖を通して伝えられた親神様の教えを深く全体的に知るうえで、極めて重要な文献であることは間違いないでしょう。

これらの「こふき本」に記された教えは、教祖が現身をかくされた後に制度化した「別席」の内容に引き継がれるとともに、教祖が取次人に何度もくり返して話し聞かせた伝承の形式は、九回同じ内容の話を聞いて「さづけ」の理を戴く、別席制度の在り方に継承されることになります。

別席と「さづけ」

 別席は、「さづけ」(さづけの理)をいただく席を本席と呼ぶのに対して、「さづけ」をいただく前に、取次人から親神の教えを聞くために設けられた席のことです。

 明治七年(一八七四)、教祖は赤衣を召されて「月日のやしろ」としての立場を鮮明にされるとともに、数名の方々に「さづけ」を渡されました。

 明治二十年(一八八七)に教祖が現身をかくされてからは、飯降伊蔵「本席」と定めて「さづけ」を渡すことになり、その後は「さづけ」をいただく人の数が増えていきます。このため、明治二十二年・二十三年頃には「ぢば」へ帰ってきた人々が取次人から九回の別席話を重ねて聞き、心に深く教えを治めた者に「さづけ」を渡す制度が確立するようになります。




 その後、明治三十一年に「おさしづ」によって別席台本の制定が求められ、お話の内容を統一することになりました。この経緯については、『稿本中山眞之亮伝』に次のように述べられています。


「各人まちへでは、どうもならん。一手一つに、しっかり元の理を諭せ。とのお言葉を頂いて、取次全員、教祖からお教え頂いた処を書いて、眞之亮に提出し、眞之亮の手許に於て、一冊の台本に取りまとめ、親神様の思召を伺うて決定した」(二五六頁)


 この時に制定された台本は、真柱の手許に原本を保存し、別席の取次人はこれを借り受けて別席話を暗記し、基本的に同じ内容のお話を取り次ぐことになります。昭和三十一年になって、台本の言葉遣いと文字の一部が改定されましたが、現在も当時の台本の内容が引き継がれています。

 このため、別席では同じ台本をもとにした基本的に同じ話を九回くり返して拝聴することになりました。また、「同んなじ事九遍聞かしたら、どんな者でも覚えて了う」(明治三十一年五月十二日)と言われるように、九回の別席のお話は「月日のやしろ」としての教祖を通して伝えられた親神の教えをくり返して聞き、心に治めるための神の言葉です。こうして、別席話の内容を深く心に治めた者に「さづけの理」が渡され、この「さづけ」の取り次ぎを通して、教えを広く世界へ伝えていく形がつくられます。

 別席話には、「さづけ」の取次ぎに媒介される布教伝道の場面において、人々に伝えるべき基本的な教理が集約されており、この基本教理をしっかり覚えて心に治めることが、天理教の布教活動や信仰生活の基盤になります。とくに、元はじまりの話、十全の守護、かしもの・かりもの、八つのほこり、教祖の立場、ひながた、といった基本教理が覚えやすい形で語られている別席の内容を心に治めることは、教えの内容を知らない人々に教理を伝え、日常生活のなかで教えを実践していくうえで極めて重要な意味を持っています。

 心に治めた教えが血肉になって、自然に生活に滲み出てくるようになるためには、いつでも教えをもとに自分自身を省みることができるように、基本教理をしっかり覚え込むことが大切でしょう。「さづけ」を戴いて「よふぼく」となり、広く世界に教えを伝える立場を与えられた人々には、まず別席を通して基本的な教理を深く心に治めることが求められるのです。

 断片的で象徴的に書き残された「原典」の言葉を体系的に理解することを可能にし、教えの全体的な見取図を与えてくれるのは、「こふき」~別席へと連なる、口頭で伝えられたこの伝承的教理の存在です。別席を運んだ人は覚えているはずですが、そこでは十全の守護や八つのほこりの説き分けが詳しく、しかも体系的に説かれています。こうした基本的な教理の枠組みがあって、はじめて原典の研究を教えの体系的な理解に活かしていくことができるのです。

逸話と伝承と教理

 さらには、教祖の逸話や伝承として残されたエピソードのなかにも、教理の理解を深めてくれるお言葉が多く残されています。「稿本天理教教祖伝」が編纂された際に、いつか逸話篇と呼べるものを刊行したいという意思は述べられていましたが、昭和51年/教祖90年祭の記念出版として、「稿本天理教教祖伝逸話篇」が刊行されました。教祖の幼少期から現身を隠されるまでの生涯のなかで、のちの人々に語り継がれたエピソードが200編集められています。

 もちろん、これらの逸話は多方面において重要ですが、教祖伝の研究について紹介する時間が別にありますので、そちらで詳しく紹介しましょう。



 また、教祖と長く苦楽を共にした先人の方々の手記には、貴重な教祖のお言葉がたくさん残されています。なかには、基本的な教理の理解そのものに関わるような貴重な伝承も少なくありません。

 辻家文書、梅谷文書、増井りん文書、山田伊八郎文書、高井猶吉聞書などには、教祖の説かれた教えについて、かなり詳しい記述があります。また、これらの先人から教祖の教えやエピソード聞き集めて書き残した正文遺韻(諸井政一)などは、現在の教典や教祖伝などにも内容が反映されています。これらの先人の言行も含めて、貴重な文書類の多くが活字になっていますので、宗教学科の皆さんは、ぜひ在学中に学んでください。

 さらには、赤衣、刺繍や細工、教祖所縁の場所など、興味深い遺物や史跡がたくさん残されています。かつて私は、天理時報でこれらの史跡や遺物を歩いて訪ねる連載をしていました。対面授業がはじまれば、ぜひ皆さんとも近くの史跡を訪れてみたいと思っています。

 教祖を通して伝えられた教えの根幹を探求する営みにとって、教祖が口述で残された伝承的教理は極めて重要です。宗教学科で世界の宗教思想や天理教の教えを学ぶ人々は、残された資料に積極的に目を通し、より専門的な立場から教理の理解を深めてください。

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